ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

同窓会を断ることで見えた目指したい自分「決断」

こんばんは、honyaです。

ここのところ仕事が順調(というか気持ち的にだいぶ余裕がある)でして、しっかり家事ができていて上機嫌です。

 

ところで、今日は同窓会について思ったことを書きたいと思います。

 

みなさん、同窓会に参加したことがあるでしょうか?

 

小学校、中学校、高校、大学、、など同窓会に招かれる機会が訪れることもあるでしょう。

私も何度かお誘いを受けたことがありますが、参加した同窓会は一度だけ、確か20歳の頃です。もう7年ほど前ですね。そしてそれ以来、仲の良いメンバーで集まることはあれど、同窓会は参加してきていません。で、実は最近また同窓会に誘われました。今日はその話です。

 

なぜ日記にしようと思ったのか?

 

それは過去に抱いた同窓会への想いと、今回の同窓会への気持ちが変わったからです。

今まで同窓会に誘われた時は、「あまり仲の良い人も少ないし面倒だな・・」とか、「地元に帰るのが面倒だし、予定が合わない」という感情のみでした。あまり深く考えはしていなかった。

しかし今回なぜか、とても参加するか、しないか。心になにか引っかかってモヤモヤしたのです。

そして、なぜこんなに心に引っかかるのか?考えていました。

 

同窓会に参加したくない理由

・会いたくない人がいるから

・同窓会開催日は、自分は既婚者になるため、特に出会いも求めていない

 

ようは、女性だけの集まりであれば参加してみようかなと思ったのですが、

今回の主催者は男性で、かつ参加メンバーも今後関わりたくない(失敬)と思う方々が多く、

参加するメリットが感じられなかったからです。

もちろんその中には会いたい女性メンバーもいたので、その方々には会いたかったのですが・・本当に会いたいのであればわざわざ同窓会でなくて個別に会えば良いし。

ちょうど結婚もするし、その報告でもしようかなーなんて思いましたが、普段付き合いのない人にいちいち直接言う必要もない。Instagramにでも上げておけばそれで満足だなーと。

 

とか色々悶々と考えておりましたが、、まだしっくりきておらず。

わからない時は助けてgoogle先生

ということで検索してみました。

そこでしっくりくる言葉に出会いました。

 

・その時の過去の自分に会いたくない(思い出したくない)から

・不必要な人間関係を構築したくないから

 

まず一つ目について。

 

同窓会に参加しない人って、都合が悪くて参加しない人と、あとは何か訳ありな(例えば、今の自分に自信がない)人かなと思ってました。だから、当て余らない自分は何なんだろうか?と。

正直、今の自分は自信がないわけではなく、充実して幸せになってきています。なので、同級生に劣等感を感じることはないかなと思っている。それでも参加を拒絶するのは、今の自分が好きだからこそ、過去の自分を知っている人に会いたくない ということです。

というか、その時代の私は本当に病んでいる時で自分のことが嫌いでした。人を傷つけたし、それ以上に自分も傷ついた。嫌いな自分をわざわざ思い出して嫌な気持ちになりたくないんです。

そんな暗い過去より、今と未来を充実させたいから。

 

 

二つ目について。

 

これは、今回の同窓会の件にだけにとどまらず、常に思っていることです。

私はとてもとてもとてもマイペースなので一人でいる方が好きです。そりゃあ寂しい時も正直ありますが、付き合う友達は本当に最小限にしています。

好きな自分でいるには、複数の人(相性が良くない人も混じっているグループ)と関わる必要がないと思っているからです。

 

 

本日の結論はこちら。

 

 

決断「断るものを決めること」

 

 

この言葉を先日聞いた時にビビッと来ました。

 

決断とは、何かを選択するわけではなく

断ることを決めること。

 

 

本当に欲しいもの、思い描く自分や環境を持つために

一つ一つ決断することが必要なんだなと

ほんの小さなことでも

 

そう思いました。

 

20代転職(3回目)の断念

こんばんは。HONYAです。

20代半ばで3回目の転職をしようとしていました。が、やめました。

結構悩みました。

本当にこれでいいのだろうかと

今日も思ってました。

 

私が本当に望むものはなんだろう?って考えて

究極は、自分の思い通りに気ままに生きること、なのかもしれないけれど。

 

やっぱりデザインをやりたいなぁと思うんだよね

デザインというか、技術と知識を身につけたい。

今の仕事に自信を持てないのは、具体的な知識と経験なんだよな。

別に資格なんかなくても出来る仕事。

でも、例えば独立して仕事するんだったら最低限のスキルは欲しいし。

今の自分のままだと、ずっとくすぶったままなんだ。

 

私の目標は今の会社で活躍することではない。

楽しく、やりがい持って、ワークライフバランスを持てる仕事の仕方をすること。

その辺のいい塩梅って難しいんだよね。そんなの誰だってしたいんだろうし。

でも今までの私はそうではなかった。

 

お金>時間

だったから。

残業はたくさんしても問題ないと思ってたし、お金を稼ぎたいと思ってた。

だから自分がこれにチャレンジしたい!ってことは心の隅に置いておいたし。

仕事は仕事だから。って、そう割り切ってたところもあった。

だから与えられたことを確実に素早くこなすことを常に目的としてがむしゃらに仕事した。

がむしゃらな時って辛くてもなんとか乗り越えちゃうんだよね、

でもその目的の一点集中だから、それを本当に納得して進めてきたわけではない。

だからふと、思い返すと、「これじゃない!私が望んでいたのは。」ってなるのよ。

だから私はこう思うわけだ

 

「環境を変えるのが一番手っ取り早い。転職だ、転職。」

 

思い立ったが吉日、それが私。

その日中にはアクションを起こす。

私の中の危険察知アンテナが始動するのだ。

 

「未来への私、本当に大丈夫?後悔しない?!」

 

そう思うといてもたってもいられないのだ。

リクルートキャリア、リクナビネクスト、DODA、en派遣、リクナビ派遣、などなど。

正社員から派遣社員まで幅広く転職支援会社を利用、申し込みを行う。

毎日毎日転職のことばかり考える。今の仕事、会社、自分から逃げるように。

そう、今の自分が嫌でたまらないのだ。

そして、未来が怖いのだ。

今転職しなければ、次転職する機会が減る、未来への貴重な時間が奪われていく..

 

何にもしないことこそが、不安だった。

転職するのは、不安からだった。

 

 

それは満月の日。

最近の満月を見たあの日から胸が徐々に騒ぎ出したのだ。衝動に駆られて。

 

なんとなくだけど、何かが作用していると思うんだ

何かが増幅している

 

月は何かを映し出して、蘇らせている

 

ツクヨミ

 

 

少し前までは月が怖くて、まがいものだと思ってたけど

月は未来と過去を映し出すのかなぁと、思い始めていたのでした。

 

honya.

 

生き方。

 

 

こんばんは。HONYAです。先日は久々のブログでした。そして今宵も綴ります。

 

今日はまたいろんなことに気づいた日でした。

 

実は、今の正社員の仕事を辞めようと思っているんです。

すでに会社には相談していて。今ボールはこちら側にある状態です。

 

辞めようと思ったのは、私の直属の上司との相性の悪さと、自分の体調を崩したこと、そしてこれから結婚を控えているという点です。

きっかけは、今の繁忙によるプレッシャーからでした。どんどん降ってくる無茶振りになんとかして答えようと我慢をし続けたら、自律神経失調症と思われるような体の異変と、辛くてすぐに泣いてしまうようになっていました。鬱の一歩手前ですね。

ブラック企業に勤めていた頃に自律神経失調症とか精神的に病んでしまった経験があるので、これはやばいとさすがの私でも思ったのです。でも、別に辞めるとか考えてはいなかった。そんな時に彼から言われたのは。

 

「無理して働く必要はない。そこまでストレスを溜めてしまうくらいなら。」

 

最初は私も今の会社を辞めるなんて、、と考えが及んでいなかったのですが。精神的にも本当に辛かったし、例えば結婚をしてから専業主婦とかパートとかそう言った生活もいいんじゃないかな?と考えるようになりました。

 

そこで、転職活動も初めて見ました。もしかしたら、今より条件の良い仕事があるかもしれない、と。

正社員なのか、契約社員なのか、パートなのか、、働き方ってたくさんあってすごくすごく悩みました。そもそも今まで正社員以外を考えたことが全くなかったので。。たぶん心のどこかで、正社員以外の働き方を見下し、軽視していたんだと思います。少し前の私は、同じ会社にいる派遣社員の方に対してどこか優越感というか強い立場にいるんだ。って偉くなった気分でいたと思います。

でも、今はそう思わない。

結婚を気に、生き方が「家庭」中心になることで、「仕事」の優先度が低くなることを感じたし、やっぱり正社員だとその分責任も多くて。今回はその責任に自ら押しつぶされてしまったんだなと、そう思いました。だから、派遣社員がから、パートだから、って見下す対象になっていた今までの自分を恥じています。。本当に見識が狭かったんだなぁと。。

というか、自分に対してのプライドなんだと思います。今の会社もそこそこ大きい企業で、給料もまぁまぁ悪くはない。そんなところで正社員として働いているワタクシ!みたいなところ、あったんだと今ではそう思います。でも今の私が思うのは、そういうプライドってもうどうでも良いな、と。

 

いつも人と、平均と比べて、私は大丈夫だ。平均以上だ。何かと常に比べて生きていたんです

それは今に始まったことではなく、昔からそうでした。

根っからの負けず嫌いだし、小さい頃から何でもできる姉に対してコンプレックスを抱いていて。私だって平均以上何でもできる!っていうのを証明したくて、特に芸術/スポーツの分野など自分が決めたことには一生懸命になっていました。

そしてそれが、今は仕事。無意識にあるプライドで、責任感を持ってしっかり仕事して、稼いで、人から感謝やすごいねって認めてもらえたり。そういうのが多分欲しかったし、自分自身を納得させる働きがしたかった。でも今回は、それが仇となって現れ、体調を崩してしまいました。

 

ん、でも待てよ。と

前もブラック企業でも体調崩したよな、と。

よく考えたら、体調崩していない人の方が多かったなと。

体調崩すぐらい無理して働いた「自分」に原因があるんじゃないか?

 

ふとそう考えが及びます。

 

今日は上司と面談しました。その時に心に残ったのは

「誰でもいいから、相談してみて。」

 

今までの私だったら。

「そんなの、相談できる雰囲気じゃないし。できないよそんなの。」

そう心の中で思って終わりでした。でも今日はこんなことを思いました。

 

「そうか、確かに・・。私は相談するのが苦手というか

 誰かに頼るのが苦手、一人で背負い込んでしまうのかな。」

 

数日前にネットで見ました

 

「ガミガミ怒られて育った子は、誰にも相談できず

 問題を一人で背負いこんで生きて行くようなってしまいます。」

 

上司の何気ない一言と、このネットで見た言葉が心にすっと落ちました。

 

 

 

問題は、環境だけのせいではない。

私にも、問題があるんだ。

 

 

 

 

そう思いました。

そしてさらに今までの私なら、その自分の問題に対して落ち込みます。

落ち込んでそれをまた見て見ぬ振りしてスルーします。

受け止める余裕がない、から。

 

でも今回、問題は問題だから、変える努力をしてみよう。

そう思えました。

 

 

 

 

 

 

私の上司はサイコパス的な傾向がある人で、そのことで苦しめられてきました。

でも、それはそれ。私は私。

相手が全部悪いわけではないんだって。

 

 

 

 

 

会社に辞めたい。と相談した時。

自分が思った以上にしっかりと私の話を聞いてもらえました

だからか、辛い気持ちがだいぶ和らぎました。

今までずっと、しまいこんでいた想いを聞いてもらえて、心が楽になった。

 

相談すれば、状況も変わるんだ。

会社なんて冷たいんだ。誰も自分を守ってくれない。守れるのは自分だけなんだ。

 

多分私は小さい時から無意識にそう思って生きていました

それは社会人になってさらに強く意識するようになっていました

 

「誰かに甘えているからダメなんだ。

 自分で自分のことを解決しなければ。」

 

どんなにお金がなくて辛くても、大学を卒業してから親元を離れて一人暮らしで生きてきました。

「自立しなくては」という思いです。

実際に自分の両親はお金もなく、頼れなかったし

むしろ大変な両親を支えるべきなんだ。って思って

老後の親のこととか考えて、稼がなきゃ。って

自分の老後じゃなくて、親の老後ばっかり心配して

 

今考えたら、本当に変ですよね

 

多分これは子供の頃から染み付いた思いなんでしょう

 

いつも泣いていた母親を見て育ったから

親は助けてくれる存在ではなく、助けなくてはいけない存在なんだと

私の姉兄だってそんなに稼ぎも良くないし。

大学通って給料良いいわゆる「まとも」(今考えたらだいぶ偏見)なのは私だけだから。

私がしっかりしなくては。

 

そう思って、正社員でバリバリ稼ぐぞ!と思ってました

 

 

 

 

でも、今回色々あって、考えが変わりました。

 

いつか子供を望む時に、母体である自分、大事な体を傷つけてはいけない

心配してくれるパートナーもいて

ちゃんと、自分を大事にしなくちゃな。

って思ったんです

 

 

 

 

 

だから、これから色々悩む事も多いかもしれないけど

「自分の生き方」を大切にしたいと思う

 

お金だって大事だ。

でも、時間だって大事だ。

 

 

例えば正社員の仕事を辞めて。

手取り20万くらいのお金がもらえなくなって。

そしたらもったいないなぁ、、という思いが強かったけれど

でも、1か月まるまる自由がもらえる。

それは、お金に変えられない自分だけの時間なんだって、

 

そう思いました。

 

そう思うと、お金=時間 というわけでもないんだな、と。

 

時間はお金に変えられるけど

お金は時間を変えられない

 

 

時間をどう過ごすか、どう感じるか、

それが人生なんだなぁ ほにゃお。

 

 

 

なんてことをふと今思いつきました。

 

 

大学生の時に考えてた「時間」

自分だけの時間を感じよう。ってまさにそれだよ

 

 

 

 

今になって感じるなんてね。

時差ぼけかなw

 

 

 

 

というわけで、終わり。

 

 

 

 

 

考えすぎる性格

なんだかめっちゃブルーな気分です。そういえば私って結構ブルーな日多いな。なんだか気分が沈む。一人でいると沈むことが多い。なんで?なんで私はそうなんだ??って思って、原因を考えてたら・・そうだ。考えすぎ。考えすぎて疲れたんだ。

あの、第三の目あたりがズーンと重いのよ。目の奥が痛いというか。

仕事でも、プライベートでも、いろんなことの決断があって、悩んで悩んで悩んで疲れている。

未来への責任というか、自分で自分でプレッシャーかけているというか。

二十歳そこそこの時には全く感じなかった未来への不安。本当に大丈夫なんだろうか、私に取ってこれが一番なのかと一つ一つに迷う。

 

例えば買い物ならすぐに決められる。なぜならお金さえあれば買えるから。でも私の未来は私にしか決めることができない唯一無二のものだから。ポンポンと決められない。でも私の衝動というか勘では、あれがいいこれがいいと言っている。でもそれを止めにかかる左脳さん。理性が理屈で考える。私の右脳と左脳が戦う。戦い続けた結果仲介地点の私が困る。そう、これは私自身の問題である。人から言われたことを思考してしまうとさらにこんがらがる。そう、いっそのこと、人の言うことなんていちいち気にしないほうがいいのかもしれない。特に私は。大したことないことでも考えすぎてしまう私には、「悩め」と言われた一生悩み続けるだろう。悩みたくなくても勝手に悩んでいるんだから。

 

なんかもう、考えることに疲れたよ、パトラッシュちゃん。

だからもう、あんまり深く考えすぎず、思った通りのインスピレーションに任せることにする。

でも自分が決めたことだから、人のせいにはしない。

あの時あの人がああいったから、なんて言いたくない。

それはつい少し前の私。

いつまでたってもうまくいかないことを親のせいにしていた私。

同じことになるのが怖くて、あえて悩んでる。でももう限界だ。悩んだって答えは一緒なんだから。

 

自分が良いと思った方に決めるよ。

とりあえずいろんな話を聞いてみて、

話はそれからだ。思考は後回しさ。

 

それが私らしさでもあるんだから。

 

 

モヤモヤした時は言葉か文章にしよう

そうすることで少し昇華されるから。

月間PV数100件突破

少しお久ぶりです。

このブログでは毎度毎度忙しいって言ってる気がしますが、それよりももっと忙しくなって参りました。honyaです。

タイトルの通りなんですが、最近月間PV数が100件を超えるようになってきました。毎日10件くらいのアクセスがあるようです。

よくわからないけど、このアクセスはグーグルロボットはカウントされているのか、いないのか?どうなんだろう。もしかしてグーグル先生はよく見てくれてるけど人はそんなにみていなかったりしてね笑

私の日課は、お気に入りのブログを読むことです。あとは2ちゃんまとめを読むこと。笑 最近のニュースや動向は専らネットから仕入れます。普段連絡を取り合う友達は皆無なので、同世代の情報はinstgramやtwitterから仕入れます。instgramに関しては一回アカウント削除したりしたけど、そういった情報も欲しかったりするので結局続けたり。。

私はもしかして非常に正直者というかどストレートな人間なのかもしれないなぁと最近思うようになりました。

完全脈絡ないブログですがこの辺で。

暗い所から見ると、明るさがよく見える

昨日、昔の出来事を思い出しながらブログを書いた後、仕事が終わった私はクタクタで家路に着き、一人暮らしの部屋で出来合いのお弁当をスマホを触りながら食べていた。


「26歳はもう結婚を焦らなきゃいけないよ」

会社の同僚に言われた事。また、近頃のアラサー男性は20歳前後の女性が大好きだという事。ただの飲み会の席で言われた事に、私は妙にショックを受けていた。


「そっか。26歳より20歳の方が、男性は嬉しいのか。私は不要か…」


それがまるで世間からの代表の声のように聞こえた。


仕事で疲れていたのもあり、そのことをふと思い出してなんだかブルーな気分になってしまった。女性としてのメンツを潰されたような気がして。

そんな気分の中、私ってまだ若いと言えるのかな?昔と比べて老けたのかな?と仕切りに気になって、スマホのカメラで自撮りをしてみる。それを昔の自分の写真と比べて楽しんでいた。あ、この違いを誰かに見て欲しい、、そう思ってInstagramを開き、投稿した。でも、私が投稿したInstagramの写真は、友達と遊んだ写真は一枚もなく、自分の写真や風景ばかり。他のひとはみんな友達と楽しんでる写真なのに、、なんだか私って友達少ないなぁ。はぁ。友達少ないって、どうなんだろう。いや、普段はそんなこと気にならないよ、でもふとした時の寂しさに、友達がいたらいいんだろうなと思ったのだった。


結婚式についての話題

本日2つ目のブログ。


私のブログの中で最もアクセス数を誇るのは…「結婚式」についての話題。


私の当時の思いの丈が綴られているブログです。

どうやら、GoogleYahoo!からの検索でこのブログに辿り着く方が多いようです。

みなさんも、同じ悩みというか、同じ想いを持っているのかな?と思いました。


あれから、結婚式についてや当時の出来事について考えたり、私自身の出来事を重ね合わせたとことろ、あの頃と感じ方は変わってきました。


振り返って思うのは、私は彼女のことを僻んでいたんだと思う。


私は当時彼氏がいなくて、一緒に参加したある会で相手は彼氏ができた。私はそこで勝手に見下された気分になっていた。

それに、当時全然良いことがなくて落ち込んでいたしお金もない中で、結婚式に招待された。私は心の余裕も祝えるだけの器もなかったんだ。

だって、例えば一緒に参加した会で彼女に彼氏ができなかったら?多分同じ気持ちにはならなかったと思う。


もともと結婚式に対しての疑問はあった。

けれどこの一件に関しては、個人的事象が絡んでいるから、ちょっと話が違ってくるというか。



私自身の問題だったと、今ではそう思います。


また時間のある時に、改めて記事を書きたいと思います。