ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

シアワセは自分でつかみ取れ!何かの所為にしてたら、なんにも変わらない。

こんばんは。明日は早起きしないといけないのに、ブログ書いちゃっていいのかな?やばいな?でも書きたい!書きたい気持ちは止められぇ!・・HONYAです。(長い)

 

えーっと。本題の前に。すっごくね、真面目な話を書きたいと思って、割と長文を書いておりますが、元々ふざけている人なので抑えきれませんので、ほどほどにいきたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いでございます。

 

本題です。

今回のタイトルは、私が思っていることです。

 

シアワセって、なんだろうね?私は、そんなことを3年間ぐらい毎日考えていました。(盛ってます、あしからず)

本当に真剣に考えていました。

そこで、私はシアワセって他人と比べた相対的なものではなく、自分自身がどう感じるか・受け止めるかの個人軸にあると気づきました。いや、なんでそんなこともわからなかったのよ?と今では思うのですが、当時は本気で幸せの意味がわかりませんでした。なぜかって??そりゃ、不幸な人生ばかり歩んでいて、幸せを感じたことがなかったからです。最近巷で話題の「毒親」なる元で生まれ育っていましたから。幸せがどうの、ではなく、「生きるか?死ぬか?」のまさに「DEAD or ALIVE」な訳ですよ。(まんま)親に気に入られなければ、体罰が待っている。捨てられるかもしれない。そんな恐怖と常に戦って来た私は、成人した後もそれを引きずり生きていました。だから、幸せになりたい、なんて考えたことすらなかったのです。

 

小学生、中学生、高校生、大学生・・

どの時代の私も、思っていること、根底はいつも同じでした。

「なぜ、自分ばかりこんな処遇なのか。」

何かわからないけれど、憎んでいた。世間も、親も、ほとんど全て。

 

所謂「毒親」って、幸せな人生歩んでいないんですよね。いつだって、彼らは「被害者面」している。そして、原因は自分以外にあると思ってる。何かが悪い、誰かが悪い、自分は悪くない!!と。まさに、不幸と共にある人生と言えます。彼らは、なぜ毒親なのか。おおよそが、「愛情」を知らないから。「子どもへの愛し方」がわからないから。そもそも、「子育てはしたくてしている訳じゃない、仕方なくやっている」。これが、現実なのです。

 

私は、この事実を受け入れることに2年程かかりました。

私は、親からまったく、愛情なんてもらっていなかったんだということ。彼らは、愛情すら知らなかったこと。私も、彼らも不幸だったということ。互いに、憎み合っていたということ。

 

そこで、私は、思ったのです。

「これからの人生、楽しむ!!話は、それからだ!!!」

何の話なのかは不明ですが、とにもかくにも、幸せの第一歩として、思いっきり楽しむこと、自分のやりたいことをやってみることが大事なのではと考えました。人生を楽しもうとしなければ、楽しくなるわけがない。カタチだけのシアワセ、幻想にとらわれてたって、何にも楽しくない。

 

過去、私は色々経験し、今ここに存在する訳ですが、

「シアワセは、自分でつかみ取れ!

 何かの所為にしてたら、なんにも変わらない」

と思います。

なぜなら、誰かの所為にしても、何かの所為にしても、

自分以外の物事が変わるのには時間がかかりすぎるから。

自分が変わる方が簡単だってこと。