それぞれのカルマが解消されていた。
それぞれのカルマが解消されていた。
私は何か勘違いをしていたのかもしれない。
私の中の何かが、私の過去とは私は決別して、 私ばかりがみんなと違って前へ進んでいると、 そんなことを思っていた。心の中で馬鹿にしていただけだった、 家族を。そんな自分がとても恥ずかしくなった。
私の中の辛さも、家族の中にある辛さも、それぞれ存在していて、 それぞれがそれぞれにあった克服をしている。 なるべくしてなったのか、それとも、そういう星回り、 運命というのか。本当がどちらなのかはわからない。
でも、どちらだとしても、家族が前向きに進んでいること、 楽しく暮らしていることを見るのは嬉しかった。一番驚いたのは、 私の兄だ。私の兄は10年ほど引きこもりをしていた。しかし、 本日久しぶりにあったら、 普通にコミュニケーションがとれているし、 なんだか全く別人になったようだった。昔は生気がなかったが、 今は気が満々だった。そうなのだ、 変わっているのは私だけではない、彼だって大きく変わっていた。 私のこの目は、私が見たいものが見える。 見たくないものは見えない。それが人間だ。本日見えたこと、 それは、前向きに生きている兄だった。
私が学生時代、彼が部屋から閉じこもって出てこない時、 それはそれは心配だった。彼は一体どうなってしまうのだろう、 そんなことしていてはダメだよ、外へ出ようよ・・・と。 当時の私の目には、突如おかしくなった兄しか見えていなかった。 そして、少し前までの私は、まだ過去の兄の記憶が強かった。 思い出す時だって、過去の兄だった。でもそれは、 私の中にしか存在しない空想だったのだ。
過去の兄のあの時は、 彼にとって必要なステップだったのだろうと、 今だからこそ感じる。
なぜ、私たち家族はバラバラだったのか。それは、 お互いがお互いに愛情不足だったから。見て欲しい、 かまってほしい、愛して欲しい、、 破壊的行動に陥ってしまうほどの強い感情、 大きな赤ん坊がたくさん存在した。誰が何のために、 誰がその発端なのか・・・それはわからない。しかし、 自分がそうしたいと思うがままに生きられていれさえすれば、 それはもはや自由だ。
愛されないと、全てが憎くなる。しかし、 一番憎いのは自分だったのだ。自分が憎くて憎くて堪らなかった。
私はもう少し、自分を省みたいと思う。
いつだって過去は乗り越えることができる。
私を甚振った母も、家庭を省みなかった父も、 彼らなりの願望に基づいて今まで生きてきたのだろう。 そう慮ることが、多少なりともでき始めたのかもしれない。
人を恨んで、憎んで、それで終わり。それもいい。しかし、 自分を苦しめるだけなのだ。人を憎むとはつまり、 自分を憎んでいることと同じなのだ。