ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

世の中の色々な真実

こんばんは。

 

GWが明けて、軽く5月病になっていたと

5月が終わって気付きました

going my way is honyaです。

 

 

想念のこととか、

夢のこととか、

目に見えない何かとか、

それらと目の前の現実と、

 

何が事実なのか?

本当のこの世の因果関係って

なんなのだろうか

 

そんなことを結構考えてました。

 

 

 

私がよく見てるあるブログがあるのですが、

人間ではなく

猫や自然からインスピレーションを受け

常識では考えられないことを綴っています。

 

私はそのブログが大好きでいつも見てます。

 

 

スピリチュアルとか、

アセンションとか、

そういった界隈に興味があって、

宗教じみた某サイトを見ていたこともありました。

 

それでも直感で、何かが違うと思って

では何がこの本当の世界なのかを

自分なりに考えるようになった時、

自分の考えに近いブログが、その先にあげたブログです。

 

 

 

私がなぜ、そんな事ばかり考えるのかって?

 

それは私の過去が起因でしょう。

 

私の中の記憶では、

母親が私をめちゃくちゃに蹴る殴るを繰り返していたのに

私の母親の記憶では、

そんなことするわけが無い、そんなこと言うなんて酷いと、私が悪者になってしまいました。

 

 

何故、二人の記憶は違うのか?

 

はじめはその理由を心理学に求め、

精神的な病理なんだと理解しました

けれど、多分それは本当の「原因」ではないのですよね。

そんな根拠なんて全くありませんが、

私にはそう思えて仕方がないというか。

腑に落ちなかったのです。

もっと複雑、いやむしろ逆で

もっと単純なのかもしれない、って。

 

 

 

私の母親は父親にDVされていました。

その姿を見て、私は震えていることしかできなかった。

DVを受けた逃げ場をなくした母親は、子どもに手をあげるようになります。

それも、罪の意識なく。

 

彼らは必死だったのです

 

 

 

でも、ではなぜ、そんなことになるの?

母も父も、なぜそうなってしまったの?

 

原因はDVという父親の行動が起因していた

目に見える理由はそうだ

 

でも、本当は、

DVすることでエネルギーを奪ったんだ

 

そのエネルギーを奪って、

自分に付け替えた

 

 

そして、その付け替えは、

そこにいる父親だけではなくて

そのエネルギーを栄養源にしている別の存在、目に見えない別の次元に存在している。

 

 

それは、父が望んだことなのか

はたまた別の想念か、存在か、

わからないけれど

 

 

 

 

自分を愛せない父は

身近な存在をいたぶる事で誤魔化していた

 

自分を愛せない父は

カラッポな器にその黒い沈んだエネルギーを手に入れた

 

自分を愛せない母は

身近な存在をいたぶる事で誤魔化していた

 

 

 

 

 

 

 

同じなんだよ。

 

繰り返すってことは、

 

同じなんだよ。

 

 

 

 

 

それを誤ちだと、

認められる器(ハート)がなければ、

そうする他ない。

 

 

 

 

悲しいけどね、

 

だから私は、憎みたくない

 

それが誤ちだと、理解した上で

 

 

憎む心は、自分の心も削ってしまうから

 

 

 

 

でも無理しなくていいんだよ

 

ゆっくりでいいからと

 

私は自分にそう、言い聞かせた