想いと想念の話
最近、自分の母親に対して、そして周りの人間に対して、思うことがあります。
人間って、自分が自分の意思で動いているようで、そうでもない。
「動かされて」いることだってある、と。
そして、無意識の想いと、自分が理解している意識的想いが、違うこともある。
なぜなら、無意識の想いは、非常にシンプルだからだ
意識的な想いは、後付けである
自分が左脳で理解するためのものなのだ
行動を決定づけるのは表層上の動機でない。
自分の無意識の想い、そして周りの想い、
それぞれが融合した結果が
「今の自分の行動」に過ぎない。
想念の話
過去を思い出す時、
あるシーンは、自分が見える
自分視点ではなく、斜め上から自分を見ている
それは、たぶん「想念」の視点なのかもしれない
もしくは、鳥か。
直感的に、そう感じている