ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

過去の嫌いだった自分も、相手も、0に戻った。

こんにちは。Honyaです。

 

今日はボーナスの支給日。

私は有給消化中のため、自宅待機中。

夏よりは少ないけれども、私の中では大金が振り込まれました!

やっぱり、ボーナス貰えるまで在籍していてよかったな。。

 

 

 

 

 

さて、タイトルの話題について。

ここのところ、今まで関わってきた人への気持ちが変わってきました。

 

私の中のコンプレックスだった、24年間。

 

今の彼と会うまでは、心のどこかで

許せない、嫌い、という気持ちが拭えなかった人々がいます。

 

その気持ちは、私自身への、報われなかった想いに対して

同情していたからです。

私は傷ついた、そして被害者であり、

被害を与えた相手は、悪に変わりないと。

そう思っていました。

 

 

 

 

でも、今は、そうは思わないのです

 

 

相手だって、同じように苦しんでいたのだと

そう思います。

 

同じレベルにいたからこそ、同類だからこそ、

同じ次元にいたのです

 

いくら、目の前にその人がいたとしても

相手に同調しなければ、同じ次元になることはありません

 

 

 

目の前の相手にイライラしたのなら

それが今の私といっても過言ではなく

 

お互いに傷つけあう関係にいたのであれば

それぞれが自分に自信がなく、相手を自分の映し鏡としていたのでしょう

 

 

きっと、違う世界で生きてきたのなら

その人の考えが真逆であれば

自分という核を作れていれば

きっと、傷つけあうことなくいたことでしょう

 

互いに干渉してしまうのは

お互いを理解する器量、精神(心)がなかったのです

 

 

相手を思いやること、それはその人の資質ですが

自分を愛していること、それがなくては

相手を思いやることはできません

 

 

私は、身をもって、それを知りました

 

 

 

 

 

愛のない人は、簡単に人を傷つけます

 

愛がある人は、傷をつけられても、自分で癒すことができます

 

それが、自尊心です

 

 

 

言葉だけで、愛は理解できない

 

体感することが大事だと

 

そう思います。

 

 

 

 

捻くれた愛情で育った私だからこそ

遠回りはしたけれど

その違い、大きさ、大切さに驚き、実感しました。

 

 

 

 

 

過去、私が嫌いだった人々は

私の欠片だったのかもしれません。

 

 

相手のせいにして、自分は悪くないと

そう思いたかっただけなのかもしれません。

 

いやきっと、そうでしょう。

 

 

 

自分が未熟だっただけです。

 

 

 

 

相手は映し鏡で

あなたは、私。私は、あなた。

 

 

過去の嫌いは、少しずつ解かれていった

 

 

ただ、自分の今に正直にいることは大事。

 

今の自分の「嫌い」に蓋をして、

今の自分を偽るほど、

もっと「嫌い」になるから。

 

 

その気持ちに嘘をつかずに

自分らしくいればいいな、と

今はそう思っています。