ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

私の不幸を喜ぶ友達などもはや友達ではない。

おはようございます。HONYAです。

思いがけず、予定があるから早起きしたのにドタキャンになってしまったため時間があまりましたので、ブログを更新してしまいます。

 

最近の中の私のテーマは、ズバリ、

「friend」

です。

 

なぜ英語なのか?それはただの気分です。  

 

 

私はあまり友達がいません。上辺の友達も、仲のいい友達も、多くはないと思います。小学校から大学まで、大概グループの中の一人として私は友達の中にひっそりと?君臨しておりました。

正直なところ、今日は友達のことについて語るつもりですが、私だって大して素晴らしい人間性を持った人間とは言えません。むしろ気分屋な猫です。(猫様に失礼です)失礼いたしました。

 

大学生の頃に色々誘ってもらったあるグループ。10人程になります。その中で、自己愛が強すぎる、中には他人の不幸は蜜の味と断言する子もいました。(いや、まだ断言しているくらいの方がまだマシなのかも?)他人の不幸は蜜の味なのにそれを言わない隠している、けれど態度ににじみでている方もいました。しかしそれは、私が感じたことなので、100%合っているとは思わないし、他の人はそう思わない可能性は高いでしょう。しかしながら、私はそういうのに結構敏感なので…、親の不幸そうな顔を見て育ってきたというのも合って。何かマイナスエネルギーを感じたのです。

 

というのも、友達Aさんは、私が恋愛関係で悩んで落ち込んでいる時、真っ先に駆けつけてくれたことがありました。これだけ聞くと、友達想いの優しい子だと思うでしょう。しかしながら、私が悩みを話すたびに、その子の顔は…微笑んでいたのです。

 

微笑む?私の不幸話、それが楽しいの?

微笑むというのも、ほくそ笑むという方が近いと思いますが。

彼女の態度にとっても違和感があったわけです。それは、他の子にも同じ話を聞いてもらった時は、辛そうな顔して、自分の幸せ話はせずに黙って聞いてくれました。

同じようで、まったくの別物でした。それは、比較したから尚わかった気がします。

 

友達Bさんは、またもや私の不幸話を相談していた、むしろ、精神科に行った方がいいかな?と本気で悩むくらい鬱っぽくなっていた頃です。

話聞くよ!と言ってくれたので、私はその子に会いにいきました。そこで、上記のことを話しました。そしたら…

「え?そんなの大したことないって!大丈夫大丈夫!精神科なんてヤバイ位発狂したことある人ばっかだから。私も昔行ったけど、あ、自分は正常だわwと思ったくらいだしwwwwwwww」

当時の私は、

「そ、そっか…。私の悩みは大したことないんだ……」と更に落ち込みました。

 

(ま、実はこの数年後に精神科行ったんですが、全然静かで変な人はいなかったですよ。誇大表現だったことは確実です。)

 

そういえば、今思い出せばこの友達Bは、私が悩んでいる時にこぞって「話聞くよ」と言って、会うたびに「へぇ〜大丈夫大丈夫!」と言いながら嘲笑っていた。

それでも私は、数少ない友達だから、悪く思うのはおかしい、私が変なんだと、友達をまるで神扱いしていた気がします。

友達Bに合って、悩み相談するたびに、私はグッタリ疲れていました。

 

 

それに、この友達Bが、恋愛関係で傷つけられてしまったと、相談されていた時のこと。その相手の男性に電話して欲しいと頼まれ、私は男気を出しました。

アイツ(男性のこと)!酷い奴だな!私がビシッといったるわ!!! 

そして、私はそのアイツに電話してビシッと決めました。その後結局、友達Bは自業自得だったのではないかと一人で知ってしまった訳ですが…。

 

なんだろう、大学生になってから、友達ってこんなものだっけ?と思うことが増えました。むしろ、トラウマいっぱいできました。

 

友達がいないことがコンプレックスでした。

しかし今は、こう思うのです。

 

 

 

「私の不幸が幸せと思うヤツは、

    友達でもなんでもねぇ。

    ただの輩だ」

 

 

友達を断捨離してみたらどうでしょう?

結構、楽ですよ。

 

自分を大事にしていたらね、

こう人を嫌らしく傷付ける人なんて、避けて当然。と思うようになりました。

 

前は自己肯定感が低かったから。

相手のサゲ攻撃にやられまくりだった。

けど、今は違う。

 

そして、過去の私と今の私は、ベツモノだ。

 

今この瞬間、いつだって、生まれ変われることさえできるのだ。