ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

自分が暮らしていたと思って見に行った部屋はボロボロで廃墟になっていて、鳥がどんぐりを食べていた

夢の話。

満月の前夜に見た夢。


夢の中で訪れた部屋はひどく汚れていて、

辛かったけれど、

奥の部屋の角が割れていた。

そこにはどんぐりが挟まっていて

鳥たちがそれを摘んでいた。


私はそれを見てこれはダメだと思い

その場からすぐ飛び出す。

鍵をかけようと思ったら、なぜか

南京錠が掛かっていた。

隣の部屋も南京錠。

もっと周りを見たら全て同じで

そこは、廃墟だった。


最後はその廃墟を空遠くから見ている夢。






満月の前夜、

昔の私の中を覗きに行ったのかな。

そこには、暗い部屋(暗い感情)と

色んな物が散乱していて(片づけきれない感情や思い出)、

そんな中、壁を突き破るように

どんぐりの実(希望)が。

それをつまむ鳥たち。

そしてその部屋は壊れていく。


この部屋は、

過去の、悲しかった私そのものなのかもしれない。


その部屋からわたしは決別する。


もうそこには、誰もいなくて。




今まで見た夢は

過去に暮らしてきた部屋や見たことのある部屋が多かったけど

今回の夢で見た部屋ははじめての場所だった



私の心の中だったのかもしれない。

お金以上に大事な経験をしようと思った

もうこのブログは更新しないと決めたけれど、思いの丈をぶつけたくて戻ってきた。

 

現在、はてなブログではなくWordPressを使ってブログ運営をしている。

そこではここに書いてあるような雑記ブログではなく、いわゆる特化ブログ。

 

 

 

もともと日記を書くことが好きだった。

自分の想いを文字に起こすことでなんだかスッキリした。

自分の言葉って、誰にも届かなくて、いつも日記で自分と対話してた。

 

だからこうしてブログを書くことが好きだ。

悲しいことも、辛いことも、モヤモヤしたことも。

自分のことなのに自分が一番よくわかっていなかった。

俯瞰でものを捉えられるようになったのは、20代も半ばを過ぎた頃。

 

いつもふわふわしていたのは自分だった。

もう少ししっかりしていると思ったのに。

いろんなことでルーズで、だらしなくて、でもプライドが高くて負けず嫌い。

自分は天邪鬼だと思ってた。

最近自分が弱いってことに気づいた。

強がることに慣れ過ぎて、自分の弱さを認めたくなかった。

 

 

タイトルの話に戻ると、

今運営しているブログを書いている中で思ったことがあった。

こうした雑記ブログではなくて、

何か目的を持ったブログを書いていると、

どうしてもお金稼ぎにフォーカスしてしまう。

 

 

と言うのも、もともとブログを作りたいと思っていた。

けど、何を書けばいいのかわからなかった。

 

いつの間にか、ブログ=副業=お金稼ぎ になってしまって

書きたいことも書けなくなってきた。

 

思ったことをぶつけるこのブログと違って

誰かの為になる言葉を見つけて書かなければならない。

自分の頭の中の棚卸しをしなくてはいけない。

人にわかりやすい言葉でなければいけない。

 

そんなことを思っていたら、書けなくなってしまった。

 

もともとこんな感じにだらだら書くのが好きなんだ。

楽なんだ。

だから今日はここに逃げてきた。

 

とにかく言葉を綴りたいけど、

スラスラと書けないから

一度原点に戻ることにした。

 

 

そう、お金稼ぎにフォーカスしてしまうと

大事なことを忘れてしまう。

 

ブログは金を稼ぐただのツールなのか・?

 

いや、それ以上に、誰かにとって価値のあるものが良い。

ブログの存在意義。

 

 

 

 

最近ブログのある界隈では煽り商法で情報商材が売られている。

情報商材なんてものは昔からあった。

胡散臭いサイトがいくらでもあった。

 

でも今は、プラットフォームを使って情報商材が売られている。

 

情報商材、とは

本来価値が低いもしくはないものをいかに価値高いように見せかけて売ると言う

いわばハリボテみたいな存在のものである。

 

それが今流行り、そして問題となった。

 

 

しかし、自分もブログで稼ぎたい と言う気持ちがあったから

初めは純粋にすごいとは思っていた。

どうしたらそんなに稼げるのか?と。

 

 

でも改めて見つめ直してみる。

稼ぐこともスキルとしてはすごいかもしれないが、

それって本当に価値のあることなのだろうか?

本当に人のためになっているのだろうか?

 

お金稼ぎに先走ってしまって、

本来あるべき対等な立場になれているだろうか?

一方的にはなっていないだろうか?

 

 

 

 

私は情報商材はやらないけれど

そもそも、ブログで稼ぐってのは、

自分から価値のある情報を届けて、読者に信用してもらえて初めて

報酬という形で帰ってくるのではないか、と。

 

それは情報商材ほど早くはない。

ゆっくりだろう。

だけど、それが本来のあるべき姿なのではないか。

 

 

 

お金以上に、人から信頼してもらえることは、大事なものものなんじゃなかろうか。

 

 

今日はそんなことが言いたかった。

 

以上です

ステージが切り替わる

恐ろしく久しぶりのこのブログ。

今まで、このはてなブログでは、思いの丈をぶちまけてきた。

なんだが原点に帰ってきたような気がする。

 

私が書くことは

日常生活の戯言・・と言うか、世の中の不平不満ばかりだった。

どこかこの解消仕切れないモヤモヤを、一発ぶちまけてやりたい

ただそれだけだったのかもしれない。

 

このブログを立ち上げてから2、3年の間で

私は転職をし、結婚し、引っ越し、子供も生まれた。

そう聞くと、なんだか目まぐるしい日常に思われるかもしれない。

いや、決してそんなことはない。

今の私は育児という同じ日常を繰り返しているだけなのだ。

今を見たら、なんて事のない日常。

しかし、振り返ったら色々状況が変わっていて

でも、そんな日々はとても充実していた。

 

 

何かに向かって挑戦するのが好き

おそらく、私は。

新しいことを始めるのが楽しい。

 

 

実は今、新しいブログを立ち上げている。

それはこのブログとは全くスタンスが違っていて

自分の経験をみんなに生かしてほしいという情報ブログだ。

ここ見たく、鬱憤をただ晴らしたいだけのものではない。

 

 

でも、時々息苦しくなる。

自分の思っていることを言えるわけではなく

あくまでも表向きの自分を表現しなければいけないから。

 

だからこうして、たまには息抜きのブログもいいかな。

なんて無意識に思ってここに戻ってきた。

 

でも、もうここで新しいことは挑戦しないと思う、。

 

 

そう、新しいステージに今私は立っているのだ。

 

一人の女性として、

社会人として、

妻として、

母親として。

 

年を重ねるごとに役割が増える。

責任も増えてくる。

それだけいろんな顔を持つことになる。

 

親になると、

一人の時間がどれほど贅沢な時間だったのかと思い知らされる。

 

親とは、愛情よりも、時間をあげているのかもしれない。

と思うほど。

 

 

不思議と、自分がもしいなくなったら、

この子が困らないようにしようと思う。

母親になったからだろうか。

 

 

 

 

たまには、自分自身を見つめ直すのもの良い。

どれだけ、前に進んできたかがわかるから。

 

 

それでは、また。

出生図の海王星について

昔から、漠然としたモヤモヤを抱えてた

気づいたらいつも、ぼーっとしていた

ぼーっとしていることに、人から言われて気づいてた

なんだか目の前がぼやけてた

 

そんな症状はきっと、海王星の力だったんだろう

 

ネイタルで月に海王星がスクエアで

無自覚に意識がぶっ飛んでしまう

 

 

 

私の母も、意識がぼやっとしている人だった

存在自体がぼやぼやとしていて、輪郭がくっきりしないというか

 

そして私の娘は、

1ハウスに海王星

もしかして不思議ちゃんになるのかもしれない

しっかりと引き継いだのかな

 

 

 

あと、常に何かのプレッシャーを感じてた

 

ネイタル月に土星がスクエア。

 

母のしつけは非常に厳しかった

 

小さい頃から習い事ばかりしてきたし

勉強もやりなさいやりなさいと、

幼稚園の頃から塾みたいなとこへ行かされたり。

 

 

 

 

私の幼少期は

いつもわからないもの(感情)に囲まれてた

 

何か楽しむことにも罪悪感が常にあったり(月土星スクエア)して。

 

 

 

海王星スクエアに関しては

本当に無自覚で

占星術を知ってから、その症状を自覚したくらいで。

 

 

 

 

 

月の年齢域は0〜6歳。

 

私は幼少期メインで虐待を受けていたので

今思えば月にかかってるハードアスペクトが聞いてたのかなと。

 

 

 

話はずれるけど、ニュースでやってた。

虐待する人は「しつけ」と思って子供に「無自覚に」虐待をしているのだと。

そして、「自分は被害者」で、「子供が悪い」のだと。

 

 

私の母も同じでした。

母に虐待されていたことを伝えたら、

そんなこと言うなんて、ひどい。と。

きっと母の頭の中では虐待だなんて思ってないのでしょう。

 

 

今はその虐待された過去や

自分自身の心理的葛藤→現実世界での絶望感 は脱することができました。

 

ただ、心理的葛藤に関しては、虐待されたことを乗り越えたとしても、ずっと続くでしょう。

自分の感情に関して、より客観的に捉えられるようになっているので。

 

 

私のネイタル月海王星スクエアが、

よりそれを混沌とさせていた訳ですが・・・。

 

 

 

 

あと、金星にも海王星がスクエアになっています。

 

金星期(15〜25歳)も、色々厄介なことが多く

人から裏切られたり、傷つくことが多かったです。

 

月の幼少期では、主に母親から傷つけられてきましたが

金星期では、友達や外部の人から傷つけられることが多いように思います。

 

 

 

 

月、金星の年齢域を過ぎている今も、

それまでの過去を積み重ねており、

その過去はずっと残り続けています。

 

だから無くなることはありません。

必ず記憶されています。

 

だからそれを消すのではなく、

太陽期である今(25〜35歳)、

さらにアップデートした私になれればいいなと思います。

 

 

とにかく何を言いたかったかと言うと

自分がなぜモヤモヤしているのか?と言う理由が

ホロスコープによって明らかになりつつあり、

漠然としたモヤモヤ感の克服法を実践するにつれて、

自分の人生をコントロールしやすくなった、と言うことです。

 

 

ちなみに、水星期(7〜15歳)は、

月や金星期のような悩みは少なかったと思います。

 

ただ、とにかく絶望感がすごかっただけで。

 

水星に海王星は絡んでなかったし、。

それに、趣味のピアノをよく弾いていた時期でもあるので、

海王星の力をそこで昇華できていたなぁと、今思えばですが。

 

 

 

海王星は扱いが難しく

気づくと混沌とした世界へと導かれやすい天体なので(お酒、タバコ、ドラッグなど)

芸術、占い、音楽で積極的に使って行きたいと思います。

 

 

 

海王星が与えてくれるギフト、

夢、希望をうまく生かしていきたいと思う、今日この頃です。

 

 

 

 

人生ってなんだろう。私ってなんだろう。その謎解きをホロスコープから考える。

こんにちは。久しぶりのブログ登場です。

 

最近は子育ても慣れてきて、自分一人と向き合える時間が増えてホッとしています。

最初はどうなるかと思った・・。

 

一人の時間になって何を考えるかって?

「自分は何がしたいんだろう?」ってことです。

 

子宝にも恵まれて、優しい夫がいて、それだけでも十分に幸せなこと。

でも、やっぱりなんだか「足りない」と思ってしまう。

「人生ってなんのためにあるのか?」と考えてしまう。

私にとっての「ベスト」な人生とは、一体なんなのか。

この足りない。足りないと、何かを求める気持ちはなんなのか。

そして、なぜそんなことを考えてしまうのか。

 

・・というような、考えのループにハマってしまいます。

けれど、このループは、決してネガティブなことではないと思っています。

自分の人生を真剣に考えたいからこそ、そうやって悩んだり考えたりするのだから。

 

今までの私だったら、思ったことをすぐに行動して、それらを解決してきました。

とにかく「今、この一瞬を生きる」。

転職したいと思ったらすぐ転職する。

引っ越したいと思ったらすぐ引っ越す。

私の気持ち=行動が一致していた。

実際、子供が欲しいなぁと思ったら、すぐ子宝に恵まれた。

これはとても幸運なことだなぁと思います。(こればっかりはね・・)

だから、思いの現実化ができていないと今思うのは、

自分の願いがはっきりくっきりまだしていなくて、不安なんだろうと思います。

本当にそれで良いのか?

 

今、とりあえず衣食住は確保されていて、自分が必死になる必要はない。

とにかく子育てをちゃんとやること。

なんだけど、やっぱり思うのは、「自分が社会に出たい」という気持ち。

 

 

そんなこんなで思いを巡らせている時、

頭をよぎるのはホロスコープのこと。

 

生きるってなんだろう、とずっと考える、哲学的なことを考え続けるのは

「9ハウス木星」からでしょう。

しかも、しし座の木星なので、多分、ドラマチックな考え方をするのでないかな?と。

平凡なものでなく、派手なものを。

だからドラマのある物語が好きなのかもなーと。

 

そして、社会で活躍したい、子育てだけでは物足りない!のは、

4ハウスに天体が0、10ハウスに天体が3つ だからだと。

しかも10ハウスには太陽が。

 

実際、転職を考えた時、夫が「専業主婦でも良いんじゃない?」と言われ

「そんなこと、考えたこともなかった」のが正直な感想だった。

「働かない」選択肢は、私の中になかった。

結婚するのにも、

私が自由に働ける環境(働くことを理解してくれる夫)が欲しいと思っていたし。

 

10ハウスは天職や社会的な立場を示す場所。

だから「社会と関わりたい」気持ちは強い。

そして太陽は天秤座。人と関わることがテーマ。だから人なくして自分はないのです。

何かと人と比べたがるし、

その人はどんな人なのか?ということにとっても興味がある。

(哲学的に考えたりね)

ちなみに10ハウス太陽と9ハウス木星はソフトアスペクトがある。

なので自然と人のこと分析して哲学的に考えてしまうのだね。

しかも「客観的」に。

 

天秤座は風の性質。

なので「情感」をあまり加味しない。

あくまでも「平等」で、そこに感情を伴わない。

だから私は客観的に人を見て、その人がどんなことを考えてるのか、

どういう傾向で、どういう人生観なのかということを「勝手に」考察している。

(自分のことは棚にあげてね・・)

 

今の職種はWebデザインに関わる仕事だけど。

前の職種は営業。

営業も嫌いじゃないんだよね。嫌なところもあるけど。

何より人と関わるのは多分好きなんだよね。苦手なんだけど。

という天邪鬼。

 

私は月と太陽海王星があって、

一人でぼーっとしている時も、人と接している時も、

色々「何か」を受信しすぎて疲れてしまうんだ。

それが人が苦手な所以なのかもしれない。

でも、人のことはとっても興味があるんだ。

その「心」というより、その「行動の元になる言動」の方かなぁ。

だから1対1の濃密な関係より、客観的に見ている方が好き。

というわけで、営業の仕事の面白さをそこから感じるわけです。

お客さんの「ツボ」を抑えて「喜んで」もらえる。

それが快感でもあります。

 

あと、月×海王星なので、人に依存しやすい。

これは後から自覚したんだけど、

自分の好きな人にはとことん依存するんだよね。

密接したべったりした関係性は苦手(特に人間関係のドロドロしたやつとか)なのに、

好きな人だけには違うんだよなぁ。

でもそれでいて、自分は束縛されるのが嫌い。物理的にも、心理的にも。

まぁ自分がそうだから、相手にも束縛しないけどね。

 

太陽天秤座なので、みんな平等で楽しい雰囲気が好きなので

そういうドロドロは見たくないのです。

見たくないものには蓋をする・・。

ただ、自分は甘えん坊なので(汗

好きな人だけにはべったりしたいんだよ・・・

今でいう夫ですね、はい・・。

 

 

 

とまぁ色々つらつらと書いてきましたが。

私ってなんだろう?というのは常々考える私の癖みたいなものかな。

だから自分の出生図のホロスコープを見て、新しい発見をするのが好き。

 

自分の人生って何?って思ったきっかけは、

あまりにも自分の人生が辛かったから。

そこで哲学からアプローチして、心理学に行き着いて、

毒親に行きついて、

でもやっぱり自分自身が原因だと気づいて、

西洋占星術ホロスコープに行き着きました。

 

自分のことが、よくわからなかったから。

自分のことが、不安すぎたから。

 

そのモヤモヤ感は、割と「海王星」が握っていたような気がする。

辛い感じは「土星」。

この2つが、太陽と月にスクエア決まってるからね。。

本当にしんどかった。

 

 

 

 

まとめると私ってどんなやつ?

 

(ASC:射手座)

・2ハウス:山羊座土星海王星天王星

・5ハウス:牡羊座:月

・7ハウス:双子座:火星

・9ハウス:獅子座:木星

・10ハウス:乙女座、天秤座:太陽、金星、水星

(MC:乙女座)

・12ハウス:冥王星

 

★5ハウス:牡羊座:月

趣味や娯楽をしている時が生きがい。

元気をチャージするのには一人きりの時間や場所が必要。

思いついたらなんでもすぐ行動に移すこと。

→私の場合は、スノボーが趣味なので思い切り遊ぶ。

 あとは一人で哲学する時間、一人で音楽に浸る時間。

 月には土星海王星がスクエアになっている。

 海王星のふわふわ感に飲み込まれないようにするために、

 イメージ力を使う絵やデザインを積極的にする。

 (美術館はあんまり興味がないので)

 

★10ハウス:乙女座(MC)、天秤座:太陽

 

・・・ちょっと休憩します(汗

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビ・ハイア事件にて思うこと。ブラック企業、コーチング、毒親問題。

久々に重い内容を投稿して見ます。

 

先日、グッディにて放送されたビ・ハイアという会社が提訴されている件。

 

私はこの番組を見て初めて知りましたが、なんだか自分に被る部分が多くて他人事のように思えませんでした。

もちろん、この企業とも関連者とも全く関わりはありませんが。

自身の体験談から思うことが色々ありました。

 

 

まずこの会社で起きたことは、事件だと思っています。

そして、色々な要因が絡んでいる。

もし提訴された方々の言っていることが確かであれば。

 

 

自殺してしまった女性は、毒親の元育ったそうです。

そして、ビ・ハイアの社長も毒親の元育ったらしい。

私自身も毒親に育てられた身なので、その場合の弊害や苦しみはある程度理解できる。

 

さらに、私が新卒で初めて入った会社は、ブラック企業だった。

この会社のような、従業員数10人以下の小さな会社で、社長=会社だった。

アニメ業界と同じく?深夜労働が当たり前にあるような業界。だから、ある意味で世間から見たらブラックな環境だとしても、普通じゃないことが普通だと言われるようなもの。

ちなみにだが、私がいた会社の社長もおそらく毒親の元育っていたような気がしている(社長自身の子供時代の話を聞く限りでは)。

 

だから、外に漏れにくい状況が作り出されやすい閉塞感をリアルにイメージできる。

ただ確実に違うのは、私はこの会社を辞めたことだ。

なぜなら精神的に限界になり、体調不良になってしまったからだ。当時の私は、毒親問題と向き合って苦しんでいる最中で、精神をきたしかけていた。

今振り返って思うのは、辞めて正解だったと思う。

今は幸せに暮らせているから。

 

 

引き寄せの法則ではないけれど、人は過去と同じ経験を目の前に作りやすい。

自分が鬱なら、鬱っぽい人が多くなったり、

毒親育ちだと、同じように家庭に闇を抱えた人と付き合うことが多い。

そして過去に受けた経験(傷ついたりしたこと)を、繰り返すのだ。

そのことに気づく限り。

逆に気づいて自分自身の思考を変えれば、そうはならない。

傷づくことがデフォルトになれば、状況や人を変えて傷つくようになるのだ。

 

 

今と過去の自分を比べて、一番違うこと。それは、

「ダメな自分を受け入れる(愛せる)こと」。

 

私はずっと自分に自信が持てなかった。

習い事で賞を何度も取ったり、人から賞賛されても、心が満たされなかった。

凄い自分は誇らしいけれど、自分自身は好きではなかった。

それは、親から褒められた経験がなく。肉体的な虐待を受け、両親の不仲に巻き込まれたりして、自分の存在意義なんて感じられなかったのだ。

自分を大事にできないことが当たり前だった。

 

 

きっと、この件で亡くなってしまった女性も、そう言う苦しみがあったのだと思う。

ただ、これをしっかりと乗り越えられていたのか?と言うと疑問が残る。

そして、それを会社を上げて取り組んだ(しかも外に暴露させる)のは、果たしてどうなのだろうかとも。

 

毒親問題というのは、非常にデリケートな問題だ。

この会社の社長は、毒親が全て悪いんだ。みたいなことを主張している印象を受ける。

実際は、そうではない。

原因ではあるけれど、乗り越えるべきなのは自分自身である。

いつまでも毒親のせいにしていてはいけない。

 

しかしながら、毒親で苦しんだ人々は、まず「癒し」が必要なのである。

それはコーチングではないと思う。

 

 

 

私が毒親問題に向き合おうとしたのは、

ブラック企業で生活すらままならない時。何にも人生うまくいかないと思った時。

原因は過去にあるのではないか?と考えたからだ。

そこで、「毒になる親」という本に出会う。

それから毒親についてたくさん調べ、考えた。

毒親との決別方法の一つとして、親と縁を切る方法も紹介していた。

毒親を罵倒して、蹴りをつけるということ。

 

でも、それって何だか違うのではないかと思った。

他にも解決方法はあると。

 

もともと、私は親元を離れて一人暮らしで生活をしていたので、

物理的な距離は取れていた。

なので、あとは精神的な距離を取ることが必要だと考えた。

とにかく、過去に起きたことを洗い出して、自分はどれだけ傷ついて、ずっと我慢してきたのか振り返った。

いわゆる、「インナーチャイルドを癒す」という方法。

 

子供時代の私に対して、親代わりの自分が共感し、癒していく。

「そうだね、大変だったね。辛かったね。」と。

それを思いついた時に繰り返していた。

 

調べるうちに、コーチングの存在も知った。

けれど自分の勘で、何だかそのアプローチ方法は自分には合っていないと思って深く掘り下げなかった。

それより、心理学を少し勉強したり、精神に関する学問を調べるようになった。

 

 

ブラック企業を辞めてからは、お金もなく(超安月給で、ボーナス、残業代は勿論なし)、生活はクレジットカードのリボ払いだった。

それでも、断固として親は頼らなかった。

それでは今までと変わらないから。

親から独立することが、今の自分には大事なんだと思ったから。

そして無職期間が数ヶ月あったが、なんとか就職先が決まった。

体調も快方に向かい、その後数年してさらに転職し、結婚して今に至る。

今はとっても幸せだ。

 

 

 

 

話は戻るが、、

この会社の社長も、件の女性も、毒親問題から立ち直れていなかったと思う。

特にこの社長は、毒親問題からコーチングというアプローチをしてしまい、捻くれた結果を出してしまった。

性根がかなり捻くれてしまっていると思う。

 

そういえば、コーチング、心理学、毒親などを調べた際に私が一瞬行き着いたのは・・

「宗教」だった。

どんなものかは忘れたが(忘れたい過去。。)。

この社長のように、「何かに縋りたい」という想いが確かにあった。

正解はきっとどこかにあるはず。

何かが悪いはず。

 

そこで、この社長にとっての縋る対象が「コーチング」という手法だったのではないか、と。

正直、コーチングに関しては知識がないためなんとも言えないが・・

超ポジティブな自己啓発、やる気があればなんでもできる!みたいなイメージ。。

それが間違いというわけではないが、自己肯定が低い人にそれは逆にダメージな気がした。

そもそも、自分に罪悪感がある(自分がダメな人間だと無意識に思う)ので、さらに自分をいじめる事になる。

 

例えば、それが自分で自分をコーチングするならまだしも、

会社という自分より立場が上のところからそれを迫られたら・・・と思うと正直ゾッとする。

 

 

人は何かを盲信して生きている。

自分の見たいものを見て生きている。

 

この社長は、「指導」という名の「虐待」を「正義感に基づき」行っていたのではないだろうか。

その行為がエスカレートしても、それが「正義」だ。

虐待をする人はそう思っている気がする。

だって、私の母親に「虐待していたよね?」と聞くと、

「なんでそんなこと言うの!そんなわけない!!!」と怒ったから。

私はしっかりと覚えているのに。

都合の悪いことは忘れてしまっている。

そもそもそこに罪悪感があるのならば、謝るなりなんなりするだろうから。

 

 

 

 

 

私がいたブラック会社について話を戻すと、

社長は私のダメな部分をあえて言って、嗤う人だった。

それで私が落ち込むとニヤニヤしていた。

 

嫌なことが起きると途端にピリピリして、社員に当り散らしたり。

取引先で少し何かがあるだけで、あの会社はダメだ。と憤慨したり。(全然たいしたことないことで、取引を辞めたりする)

社長より早く帰ろうとすると「俺より早く帰るやつはありえない」と言ったり。

有給をとるたびに嫌味を言われる(有給は年に3回しか取れない)。

うちはしっかり社会保険を払っている!給料も悪くない!とアピールしたり。(給料は残業代なし、ボーナスなし。バイトの方が稼げるレベル)

 

ただ、外面はめちゃくちゃ良かった。

それに、普段は悪い人とは感じなかったし、冗談も言えた。

 

 

 

ブラック企業の社長も人間的な部分がある。

ただし、ヒステリックを起こすように、急に人が変わるようなことがある。

件の社長はその超酷いバージョンだと思った。

きっと感覚が麻痺しまって暴走してしまったんだろう。

だからと言って、していたことは断じて許せないことだ。

 

 

 

この問題に対しては、語り尽くしたいがうまくまとまらない。

けれど、同じような悲劇が起こらないように、

それだけは願いたい。

 

女性に対しては、ご冥福をお祈り致します。

 

 

honya.

そもそも「結婚」=「幸せ」とは思っていなかった。

こんばんは。HONYAです。

 

昨今、婚活が盛んに行われているようですが、その中でもこんな声もあります。

「結婚」=「幸せ」ではない という。

女性は特にですが、結婚に対する憧れが強い風潮がずっとありました。

その流れも徐々に変わりつつあるような気がします。

 

でも、私から言わせていただくのであれば(なんという上から目線・・)、

そもそも結婚に憧れも何もなく、幸せに対する憧れすらありませんでした。

「幸せになりたい=結婚する」

この図式が私には全く理解できませんでした。

 

過去に書いた記事にもあります。 

honya.hatenablog.jp

 

この記事は、当ブログでは一番のヒット作です。

別にヒットさせたくて書いたわけではありませんが・・、

結果的に一番共感されたのかもしれません。

 

 

私は「結婚」自体にずっと疑問を持っていました。

それは、育ってきた環境が大きいでしょう。

 

いつも両親は喧嘩をしていました。

子どもの頃の私からすると、とにかく仲良くして欲しい、という思いだけでした。

どちらが良くて、どちらが悪いのかもわからなかった。

喧嘩が日常茶飯事すぎて、もちろん家の中のムードは最悪で。

家にいるときに、

「幸せだなぁ」という気持ちがほとんど感じれることなく育ちました。

そもそも幸せっていう概念もよくわからなかったかもしれません。

自分が幸せになる、とかそういうのはどうでもよくて。

とにかく家が落ち着いて欲しいとしか思ってなかった。

お父さん、お母さん、いつだって笑っていて欲しかった。。

 

幼稚園の時の将来の夢。

女の子たちが「お嫁さんになりたい!」と言っているのを聞いて、

全然意味がわかりませんでした。

それの一体何がいいの?

 

 

高校生くらいになったときに、

こんな人と結婚したい!とかそういう話をしていても全然ピンとこなくて、

なんとなく話を合わせるだけ。

自分の将来なんて全然見えなかった。

社会人になって働くんだな、ということしかなかった。

 

 

 

 

社会人になってから、

その価値観は特に変わることはなかった。

けれど、結婚式に関わる仕事をしていた当時、とてもコンプレックスを感じました。

そのときに、「結婚」を強く意識し始めました。

私は結婚する相手がいないことが悲しかった。

結婚できないことではなく・・。

 

 

社会人でブラック企業を辞めて、無職の時、

幸せってなんだろう。

私の幸せってなんだろう。

私は一体、何がしたいんだろう。

そう考えるようになりました。

 

とにかく、目の前のことをがむしゃらにやり遂げてきた。

でも、その未来なんてよく考えてなかった。

希望すらほとんど持ってなかった。

 

お金もなく、食もなく、帰りたい家もなく、

私は一体何者なんだろう・・

 

 

自分を初めて見つめた時。

そこでたどり着いた答えは・・

 

「自分をまずは、愛すること」

「自分を愛せなければ、人は愛せない」

 

 

両親から正しい愛を教わらず、

自分が自分らしくいても良いんだという安心感がなく、

欠乏していたのは「愛」だったんだと気づきました。

 

 

 

そこで、

やっぱり私は人を愛したい。

自分のことをわかってくれるパートナーが欲しい。

そう思うようになりました。

 

 

今まで彼氏はいたけれど、

本気で愛したことはなかったのかもしれません。

自分を必要としてくれるのが嬉しかった、ただそれだけで。

 

 

 

 

 

 

もうしばらく一人でいいや・・と思っていたとき

 

私はある人と再会し、付き合って。

自然な流れで結婚することになりました。

 

 

 

もちろん、結婚できたことは嬉しいけれど、

旦那さんとの日常がとっても幸せで。

 

とにかく私自身が、自分の人生に責任を持とう。

誰のせいにもしない。

そう決めて、やるべきことをちゃんとやって。

社会人としても、人としても。

 

そう意識してから、人生が少しずつ楽しくなってきて。

 

 

 

旦那さんだったから、結婚しようと思った。

結婚したいから旦那さんと付き合った訳ではなくて、

ただこれから一緒に居たいな、と思えたから。

 

 

 

 

 

そもそも結婚に期待も憧れもなかった私。

でも「こうあるべき」「こうあって欲しい」という理想がガチガチではなかったから

すんなりと受け入れられたのかもしれません。

 

 

旦那さんと出会ってなかったら、

30歳までに結婚はしなかったかも。

できたらいいな、くらいの気持ちで。

 

 

 

結婚した今は、幸せです。

 

それは、結婚したからというより、

生きることを楽しもうとしているから。

自分の生活ベースがそれぞれにあったから。

お互いに、自立しているから、かもしれません。

 

 

だから私は「結婚」=「幸せ」とは思いません。

それは結果論なだけであって。

 

自分が幸せだったら、

相手も幸せになれる、はず。