ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。

自己嫌悪だってたまにはするよ、たまには人を責めたくなるよ、人間だもの。

こんばんは。久しぶり登場のHONYAさんです。

今日は、自己を省みていました。内なるMy Self(合ってる?笑)とずっとね、話し合ってました。そこでね、あーもう自分なんて嫌だ!何もかも嫌だ!なんで私は生きてるんだろう?何の為に生きてんだろう?もう仕事行きたくない!なんで仕事行かなきゃいけないの?ていうかやりたくない仕事めちゃ溜まってるよ!!もう・・もう疲れたよパ●ラッシュ状態でした。

こうして定期的にこういう自己嫌悪ってあるんですよ。理由は様々なんですがね、大概そんな時はね、今の自分に失望している状態なんです、それが自己嫌悪。(さも分かってますよーみたいなことになってますが、でもね、この今の自分の状態はなんぞや!?と思ってずっとネットで調べてた結果そう思っています。えぇ。実は。小声)

そこでこう書かれていたんです。

 

「自己嫌悪は、よくない。」

「自己嫌悪するなら、反省をしなさい。」

 

と。要は、自己嫌悪と反省は似て非なるものであり、かつ自己嫌悪はよろしくない。なぜならば、反省は今後をどうしていくべきか?と前向きな考えであるが、自己嫌悪はただ暗闇の奈落の底まで落っこちてしまい、一体何がダメなのかわからず彷徨ってしまうネガティブなものであると。そんな感じだった気がします。(なんか適当だな、オイ・・)

 

でもさ、それってさ、本当にそうなのかい??と。

 

私はこの世界には裏も表もあると思っていて。何がダメで何が良いとかなんとか、善悪ですらそれは一人一人の視点によって変わる物だと思っています。そして、ネガティブだって♪ポジティブだって♪(カエルだーって、オケラだーって、アメンボだーーってーーーーのリズムで再生ください)、それは行きていく為に必要な物であるからこそ存在している物だと思っています。どっちかがダメでどっちかが良いって、それは極論ではないか?と。ネガティブだっていいじゃない、ポジティブだっていいじゃない、人間だもの。み●を。

 

だってさ、例えば自分の過ちで誰かに迷惑をかけたとするじゃん。そしたらさ、自己嫌悪しない訳がないよね、普通。それをさ、「次はこうすればいいじゃないか!はっはっは!」とすぐ切り替えられたらさ、それってそもそも自己嫌悪するものでもなかったんでない?悩む程のものでもないんでない??と思う訳です。

だから、なんでもかんでも「だから自分ってダメなんだ・・・」と思うのは良くないにしろ、自分がしてしまったことに対してショックを受けるのも、ある意味大事なんだと、私は思うのです。ひとしきり自己嫌悪してしまえばさ、後はどうすればいいのかって、そこからポジティブになればいいじゃない。私は、嫌だなー自分嫌だなーと思ったら、泣きます。泣いて、あーー誰かに慰めてもらいたい!けどね!このくらい自分で解決しなけりゃ素敵なLADYになれないぜ!!!と、My self応援団が舞い踊っています。(ちなみに、つい1時間程前のこと)

 

という訳で。今日は自分のこと嫌いになりそうで、、、と思っていたけれど。会社の上司だって「やる気あんの?怒」「どんだけ適当なの?怒」と私をいつも責めてきて、ちっとも褒めてくれやしない!(プリプリ)と、いつも頑張っているのに悲しくなって帰り道に涙していたただのOLですが。でも、自分の思いや感情を出す、確認することで、自分を執拗に責める私はいなくなった気がします。今日はヤケ酒だーー!!って思ってビールの缶を冷蔵庫から引っ張り出してみました。まだ空けてないけど、これから珍しく1人で飲んでみようかな。なーんて思ってたら、自己嫌悪はしなくなりました。

 

あと、今日ずっと考えて思ってたことなんですがね、

人を責めてしまうときって、自分に余裕がない時ですよね。

自分が自分を認められないとき、少なからず他者と比較したり、実は同族嫌悪だったり。でも責めれば責める程、認めたくないときなんですよね。

本当にどうでも良い相手だったら、責めることもせず、空気扱いにするんでしょうね。というか華麗にスルーできちゃう。意識的になっている時点で、同類なんですよね。だから、私はこう思いました。私が他人を責める権利なんて、どこにもないと。でも、責めたくなっちゃう時だってあるよ、悲しいトキー、悲しいトキー、辛いトキー、辛いトキー。。だから仕方ないし、そういう自分を生暖かく見守れるもう1人のMy selfを養おうって思います。全部自分であり、かつ他人であり、全ては繋がっているのだから。

 

みんなみんなー生きているんだ、友達なーんーだー♪