ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。

嫉妬が消えていた?嫉妬は今の自分に足りないもの

こんばんは。少し久しぶりの更新です。本日も、私なりの心境の変化を感じられたので日記にしたくなりましたので、少しお話したいと思います。

 

以前のブログ記事に書きました、ある友人の話・・結婚式に招待して来たある友人です。引き続き、私はその友人のSNSを見ていました。そこで、以前感じていたある感情が薄れつつあることを感じました。それは相手の立場への羨む気持ち・・嫉妬のようなものです。実は、私は友人に対してコンプレックスを抱いていたのです。それは、同じく参加した街コンで友人は彼をつくり、その彼とゴールイン。しかし、私はその場では何も発展なく・・・。自分がその友人に負けたような気がしてしまっていて、勝手にライバル視していたのかもしれません。その後、私だって!できるもん!と思って、1人で街コンに参加を試みたのですが。笑  そんな負けず嫌いの私です。

 

ここまでが前置き。やっぱりそんな友人の幸せな報告は、私にとって屈辱でした。私にはないのに、友人には幸せのカタチみたいなものがわかりやすく存在している。優越感に浸っているだろう、私を見下しているんだろう、と私は勝手に妄想を膨らましておりました。実際少しはそう友人も思っていたかもしれませんが、、今思えば、大事なのは「今の自分」であって、なにも友人と私を比べることなんかなかったのです。しかし、私はなぜそう思えるようになったのか。それは・・

 

「今の自分」が求めているものと、友人の求めているものが、違うと理解したから

 

・・と思います。

例えば自分だったらどうするか?幸せな自分をみんなに祝って欲しい、見てもらいたい、そう思うか?・・いや、私はそうは思わない。本当に祝ってくれる気持ちのある人にささやかにお礼をしたい。幸せの絶頂としてその瞬間を迎えるのではなく、ずっと愛情溢れる穏やかで楽しい「暮らし」をしていきたい。人に見栄をはったり自分がどう見えたいかではなく、自分がどうしたいか、を考えていきたい。大勢の人に囲まれることが私の幸せではない。そんなことをずっと考えていました。

 

私の偏見かもしれませんが、SNSでリアルの友達が多く、長文を定期的に投稿する方(文章が長く、見てみてアピールが強い)は、人からエネルギーをもらっていくタイプだと思います。基本的に寂しがりやで自分から多数友達を作るけど、親友という存在はいない。広く浅くのタイプです。もし、本当にリアルの生活に満足いっているのなら、SNSに投稿しないのでは?見て欲しい、聞いて欲しい、その思いがリアルで解消しきれないから、手軽なSNSで浅く広く情報公開をしているのだと思います。それは、私だって同じです。やっぱり見て欲しいとき、かまってほしいときにSNSに投稿します。自慢だって含まれている。しかし、上記の友人に例えて言うのなら、いつだって見栄えのする自分や状況しか見せない、無邪気な自分ではなく着飾った、自分がどう見られたいか?を意識した投稿に感じ、いつも違和感を覚えるのです。「本当は、そうじゃないんでしょ?」と私は心でそう思ってしまいます。だから「本当は、思いっきり楽しんでないんでしょ?よく“見られたい”んでしょ?」

 

長文をSNSに投稿する友人に対して、私はなんだか可哀想に思えて来ました。やっぱり寂しいのかな、構って欲しいのかな、と。そう思うようになり、自然とその友人に対して羨ましいという気持ちはなくなってきました。

最近、また別の友人が結婚をするそうで。例えば結婚式に招待されたらどうしようかな?参加してもいいかもなー。なんて思えて来ました。多分、それだけ心の余裕が生まれたのかもしれません。

 

そういえば、大学時代、私はいつも友人達に嫉妬していたことを思い出しました。何かって?それは「お金」です。私立大学ということもあり、奨学金こそ借りてはいても、ある程度自由に使えるお金が親から支給されている人ばかりでした。そんな最中、私はいつだって貧乏。クレジットカードは学生当時作ることができず、バイト三昧でした。ちょっと遊びにいくだけでも一苦労。大学だって、元々生きたくなかったのに親の為を思って入学していたこともあり、さらに苦痛でした。なぜ、私ばっかりこうなんだ。お金もないし!みんなが羨ましい。そう思っていました。

しかし、今はなんとも思いません。なぜかって?そりゃあー、自立してある程度稼げるようになって。職場のアラサー男性と同等の給料もらえているし。誰かの目を気にしてごますって媚びる必要もない。自分のために稼げるようになった。奨学金だって、自分なりに返す見通しがついてきて。自分の責任を自分で管理できるようになって。だから、そんな過去のことなんかどうだって良い訳です。

 

今、私が何を求めて、何を目指すのか。

それさえ視点を持っていれば、他人がどうであろうが関係ない。

やっとその境地に足を踏み入れ始めたようです。