ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

本当に、求めているものって。

少しお久しぶりです。honyaです。

 

目の前の相手が何を求めているのか。

興味をもっていると、見えてくる物があるのですが。

それって所謂、直感。

だから、人によっては信じないのかもしれないけれど

意外と、人は自分自身の望みについて理解していないような気がしました

それは、私自身も。

 

自己分析、巷でよくある診断テストとか、結構好きで良くやります。

でも、どちらかというとそれは「ある側面」に過ぎなくて

今の自分がどうありたいかによって、見ている側面に過ぎなくて

結局は自分の想い、もしくは他人から言われた想い、でできているわけで

それがその人の全てではないなぁ、とよく思います。

その時の感情や状況によって、だいぶ左右されるしね。

 

 

今日は、会社の人たちと飲みに行って、そのあとプライベートな話を色々聞いてたりしてたのですが、

それは今付き合ってる人とこういった喧嘩をした、だとか

自分は今の会社の管理職はここがだめ、だとか

そんなような話でした

でもその想いって、もっと根本的な何かがあったりするものです

みんな、それぞれ自分の「目的」をもって生きているのです

 

 

その「目的」が違うから、人々は相反するのでしょう

相手の思考回路が理解出来ない?それはそうです

物質世界にいる私たちは、体を介して思考しているから

脳を介して理解しているから

タイムラグや意思疎通のズレがうまれます

 

たまにテレパシー的な、空気で察することって、よくありますよね

(ない人も中にはいますが。)

物質同士は離れているのに、なんだか繋がったような感じ

それは、元々備わっている感じ取る力、それは脳とかとは別軸のもの と考えてます

 

 

私は結構、他人の考えていることや、何に興味を持つのか、

思考回路の癖、

この人は本当は何がしたいんだろう、と

そんなことを思っているからか

なんとなくその人のことが大体わかってしまいます

 

必要以上に空気を読むというか。

 

だから、本当はこうしなければいけないのだけれど

自分の置かれている立場的にできないからあえてしないけど・・

 

そんな感じで最近は仕事に対してモヤモヤをしていました。

 

 

 

目の前の人が本当に求めていないことをする

それを叶えてあげられないのがとてももどかしい

 

それはあくまでも「ビジネス」なので、仕方がないのですが。

でもなんとかして叶えて上げたいなぁといつも思ったりします。

 

 

たいがい、これをやってうまくいかない(特に人間関係)と理解することも多く

大概実現したりします

嫌な予感は的中、です。

 

 

 

 

 

 

そしてそして、

かくして、自分は?

 

自分自身のことも、ここ数年、よく考えるようになりました。

 

本当に、何をしたいんだっけ?

 

 

真剣に、自分の想いに耳を傾けるようになって

自分が本当に生きている感覚を感じています

 

 

すごく、気持ちいいんだね。

 

あと、目的をもって、こうしたいからこうしよう、と

考えることも楽しいね。

 

 

 

 

 

 

出世したい人は出世が目的。

・・けど本当に出世したい目的は、誰かに認められたい、崇められたいから。

自分に自信が無いから。

誰かに認められないと自分の存在意義が感じられないから。

 

 

 怖いんだね、

人を縛らないと、ルールで雁字搦めにしないと、

その方がエネルギー奪えるからね

 

それは、無意識なんだ

本人だって理解してない

 

・・まぁ、他の人もそんな理解してもらえないかもしれないけれど。

 

 

 

ルールを一方的に決めるのは

ルールを決める人が有利な方法となる

 

ルールを決められた人は

それから外れると必ずうまれる

「罪悪感」

悪くないのに、悪者になってしまう

 

ルールを作った人が正義なのだ

そんなもの、作った者勝ちだよね

 

 

ルールって、本当は違うの

もっとお互いがよりよくなるための決め事だと思うの

 

一方的に決めるルールは「矯正」で

そこからは創造性なんてものは生まれない

 

そんなことは、実は最初からわかってる

 

ルールを作る人は自分が正しくて

それを押し付けたいだけなんだ

 

 

 

というより、人間ってだいたい、

自分が一番正しいと思っているよね

 

それを相手に押し付けるか、思うだけか、

ただそれだけの違いだと思うんだ

 

 

 

 

 

 

相手の感情をぶつけられると、相手のソレが理解出来る

 

それは、私が受け止めたから

 

 

それは言葉じゃない、目に見えないなにか

 

 

 

 

 

 

 

 

役職者って、魅せ方ができている

 

それは、誰かもしくはその本人が、それを望んだ結果論であって

 

それが努力とか、そういうものでもなくて

 

ある意味偶然で、必然で、作られたものだ

 

 

 

 

そうやって世の中は不公平に、はじめからつくられている

 

 

 

 

それを理解しつつ

 

今の自分がどんなことをするのか

 

何を目的に生きていきたいのか

 

それはいつだって、思い続けたい

 

そう、思い続けることが、大事。

 

 

あきらめないことだ

 

 

 

本当はなんだってできるんだからね。

 

 

仕事について考える

こんにちは。HONYAです。

久しぶりのブログ更新です。

ここのところ、ストレス社会の波に埋もれておりました。私は営業職のため、売上数字をいつも言われるのですが、今月は売上が一件もなく・・・自分なりに頑張って来ているものの、うまくいかないことばっかりでかつ上司にはチクチク言われ。

「もう!そんなこと言うなら会社辞めてやんよ!?!?」

と泣きながらそんなことを思ったりしている日々でした。上記は6、7割本気ですが。いずれにせよ辞めるつもりでおります。今の会社は生活基盤を整えるべく入った会社なので、他の目標がないからですね。営業なのに、売上達成しても、他のメンバーとの相対評価のため必ず上がる訳じゃないんです。まあ、このご時世ですから、上がるだけでもあり難いのかもしれませんけどね・・・お金の為に働いている、将来性がわからない会社なので、今お金がどれだけ貰えるのか、というのは大事なことなのです。やりがいとか、やりたいことだから、とか他の理由があるんだったら、お金は二の次かもしれないですが。このまま営業やってても、営業の良さである、成績に応じた給与のバックがない限り、イミガアリマセーン。

という訳で、私は会社に変わって欲しいとは思っていません。

「会社を変えるより、自分を変えた方が早い。」

ですからね。

会社って組織で動いているから、偉い人じゃない限りはそう簡単にいきません。

前の会社に勤めている時だって、会社に対して色々不満だったけど、辞めちゃえばいいじゃん。ただそれだけの話でした。

 

大事なのは小手先じゃないんだよ、石のような意思(オモイ)だ。

えっと、タイトル思いついただけです・・。

 

これをするから、すごい!一流!

とかよく聞くんですけど・・・いや、そういうモンじゃないんですよ。お兄さん。

そういう問題じゃないんですよ。お姉さん。

思いがオモクないと叶わないんですよ。

 

根性論は悪だ!説ありますよね。

でも、あれって、それぞれの思惑及び目的が違うから、論点違うんですよ。

 

だって、楽していきたい人に押し付けたって変わりませんよ。

楽していきたいって意思がおもけりゃあね。

でも、そう思ってはいない、人の意思に動かされやすい人は、

指示した人の論に染まりますよ。

 

出世してる人だって、偉い人だって、一般的に凄いって思われる人だって

本人の意思でそうなってるのかな?

奥さんの想いだったり、親の想いだったりするかもしれない。

 

私がそう思うようになったのも、幻の桜というブログを読んでからです。

 

 

人間って、意外に気分で動いているし、

意外に自分の意志で生きていなかったりする。

 

それは、自分の人生でそう感じたから。

 

 

私が大学生のトキ、私がなぜそれが好きなのか、

それをやりたいのか、やりたくなくなるのか。

その場の雰囲気や、その時に聞いていた音楽で、簡単に変わってしまう。

 

でも、自分が強く強く、じわりじわりと思ったことは

意外にすぐ叶っていたりする。

 

反対に、親から屈辱を受けて育って来た私が大学まで通ったのは

屈辱を受けて自分がなくなってしまったから、親の想いに使役されたんだと

そう思いますね。

 

 

理屈で説明するのは難しいんだけれど

まぁ、ようはそういうことです。

 

点ができたから凄いんじゃない、目の前のことじゃなくて

それよりも見えない、根底にあるもの、

想いを想像し創造すること。

人生をクリエイト!!が私のモットーな気がします。

エネルギーを奪う人

今晩は。HONYAです。最近、あつくなってきましたね。そんな私は先週風邪をひきつつありましたが、見事回復しました。

 

さてさて。本日のタイトルは、

相手の「悔しい、羨ましい」というネガティブになったエナジーを吸うことで、エネルギーを得る人がいるんだぞ。  という意味でございます。

 

人は、ご飯を食べてエネルギーを得ます。太陽の光を浴びて、活発に動けるホルモンが体の中で反応するから日中行動できます。睡眠することによって、体の疲れを癒して次の日も動くことが出来ます。そのとおりです。私たちはエネルギーを色々な所から得て生きることが出来ます。でも、その前に。私たちはほとんど水でできています。というか、地球上にある生き物、動物や草木、水ばっかりです。親がいってました。きゅうりって殆ど水分だから栄養ないんだよーって。子どものころの私は素直に、あそっか、きゅうりは水分ばっかりなんだーへーって。でもね、割と最近気づいたんだ。野菜って水分ばっかりだよ、キュウリ以外も。ていうか、私自身が水分だらけじゃん!って。

話はずれますが、(私の中では関連してますが)冒頭に上げた通り、私は先週体調を崩したのですが、それも理由はおそらく・・「低気圧」。梅雨が始まって、気圧が不安定になった関係で体調を崩す方が増えており・・梅雨の時期って、体調不良になる方が多いそうですよ。特に女性は。でも、何故でしょう。それは科学的にも理由があるそうです。調べた中で一番ぴーんときたことが・・、大気中の水分が増える。増えることによって、私達人間も水分たくさん、そこで空気中と私たちの境目が少なくなり・・同化しやすくなる・・・?!みたいな言葉を見つけた気がします。そこに激しく同意しました。私の勘センサーが働いたのです。

ちょっと話飛躍してますが、、空気中で私たち人間同士がリンクしやすくなり、他人と繋がりやすくなったのか?と推測しました。

 

ちなみに、某ブラック企業で勤めた過去を持つ私、社長は体調を崩しやすい方だったのですが、社長がぴんぴん元気なときは、いつも私が体調悪かった気がします。見えない所で・・そう。エネルギーとられてまっせ、おにいさん。じゃない、おねえさん。私。

まあ、ブラックな会社の社長は裏の手つかってるだろうし・・

 

というわけで、科学的には説明出来ないところで、何かが起きているのは確かなのです。

エネルギーの奪い方はね・・・いくつかあるみたいだけど、おそらく単純。

 

エネルギー質を変えるんだよ。相手の。

普通だと奪いにくいから、その人のエネルギーをくすませて、とるんだ。

自分のエネルギーに近づけるんだよ。

 

方法は・・

・何かへの恐怖をもたせる(おそれをもたせる)

・マウンティングし、相手の感情を動かし、気分を落ち込ませる

そんな感じだと思う。

 

それを無意識にできてしまうんだよ、人間はね。

潜在的”に知っている。それは、自分の経験でもあり、親の経験だったり、祖先だったりね。

 

心理学では「エス」と呼ばれるものが存在すると言われていた。

 

エスとは・・全ての人が繋がっている存在

そこはビックデータ

 

過去も未来もすべては繋がってるからね

とっても良い記事みつけた。アベノミクスについて

【完結編】続・アベノミクスによろしく~アベノミクス失敗の「原因」まで解説~ - モノシリンの3分でまとめるモノシリ話

 

上記リンクです。

結論から言うと、アベノミクスのやり方は、経済がよくなったか?

というと、そういう訳ではない。ということ。

 

記事作成された方は、「GO!選挙!」を唱えています。

普通の方は、そう思うかもしれません。

でもね、もうそろそろ、みんな気づいていいときだと思うのです。

 

選挙に参加したところで、結果は変わらない。

ということを。

 

なぜか。たった一票が何を変えられるんだろう?という悲観ではありません。

私の意思として、選挙は参加するべきではないと感じるからです。

 

なぜか。

政治家が、本当に日本をよくしたいと思っているわけではないからです。

 

理屈だけで考えたら、その意見にはならないと思います。

ただし、この世の中って、全て理屈で理解することが全てでしょうか?

わからないことだって、たくさんありますよね。

科学だって、なんだって、宇宙のことだって。全ては見聞にしかすぎない。

じゃあ、何が本当で何が嘘なのか?言い切れるのでしょうか

 

 

私は、この日本はおかしいと、あるとき気づいて

日本だけでなく、どの国もおかしいと。

そもそも国ってなんだ。

そして、偉い政治家と、一般庶民の区切りってなんだ。

なぜ、生まれた時から身分が決まっているのかって。

 

そう。生まれたときから決まっていたのです。

 

 

 

 

真実を知りたいって思えば、情報はいくらでも集まってきます。

それは、自分で調べて、考えて、悩んで、自分で理解することが出来ます。

 

感覚ではわかっても、理屈ではなかなか受け付けられない。

それが人間だから仕方ないかもしれません。

 

 

でも、いつだって、この世の中は同じことを

カタチは違えど、繰り返していますよね。

 

当たり前だって、思わないこと。

常識を疑うこと。

 

 

どっかの天才科学者も言ってたと思います。

 

 

よーく考えよー。

 

 

知りたい人は、知ればいい。

知りたくない人は、知らなくてもいい。

選ぶのは自分だから。

 

私がそう思うから、そう思っているだけで

どう思うかは、人の自由です。

嫉妬が消えていた?嫉妬は今の自分に足りないもの

こんばんは。少し久しぶりの更新です。本日も、私なりの心境の変化を感じられたので日記にしたくなりましたので、少しお話したいと思います。

 

以前のブログ記事に書きました、ある友人の話・・結婚式に招待して来たある友人です。引き続き、私はその友人のSNSを見ていました。そこで、以前感じていたある感情が薄れつつあることを感じました。それは相手の立場への羨む気持ち・・嫉妬のようなものです。実は、私は友人に対してコンプレックスを抱いていたのです。それは、同じく参加した街コンで友人は彼をつくり、その彼とゴールイン。しかし、私はその場では何も発展なく・・・。自分がその友人に負けたような気がしてしまっていて、勝手にライバル視していたのかもしれません。その後、私だって!できるもん!と思って、1人で街コンに参加を試みたのですが。笑  そんな負けず嫌いの私です。

 

ここまでが前置き。やっぱりそんな友人の幸せな報告は、私にとって屈辱でした。私にはないのに、友人には幸せのカタチみたいなものがわかりやすく存在している。優越感に浸っているだろう、私を見下しているんだろう、と私は勝手に妄想を膨らましておりました。実際少しはそう友人も思っていたかもしれませんが、、今思えば、大事なのは「今の自分」であって、なにも友人と私を比べることなんかなかったのです。しかし、私はなぜそう思えるようになったのか。それは・・

 

「今の自分」が求めているものと、友人の求めているものが、違うと理解したから

 

・・と思います。

例えば自分だったらどうするか?幸せな自分をみんなに祝って欲しい、見てもらいたい、そう思うか?・・いや、私はそうは思わない。本当に祝ってくれる気持ちのある人にささやかにお礼をしたい。幸せの絶頂としてその瞬間を迎えるのではなく、ずっと愛情溢れる穏やかで楽しい「暮らし」をしていきたい。人に見栄をはったり自分がどう見えたいかではなく、自分がどうしたいか、を考えていきたい。大勢の人に囲まれることが私の幸せではない。そんなことをずっと考えていました。

 

私の偏見かもしれませんが、SNSでリアルの友達が多く、長文を定期的に投稿する方(文章が長く、見てみてアピールが強い)は、人からエネルギーをもらっていくタイプだと思います。基本的に寂しがりやで自分から多数友達を作るけど、親友という存在はいない。広く浅くのタイプです。もし、本当にリアルの生活に満足いっているのなら、SNSに投稿しないのでは?見て欲しい、聞いて欲しい、その思いがリアルで解消しきれないから、手軽なSNSで浅く広く情報公開をしているのだと思います。それは、私だって同じです。やっぱり見て欲しいとき、かまってほしいときにSNSに投稿します。自慢だって含まれている。しかし、上記の友人に例えて言うのなら、いつだって見栄えのする自分や状況しか見せない、無邪気な自分ではなく着飾った、自分がどう見られたいか?を意識した投稿に感じ、いつも違和感を覚えるのです。「本当は、そうじゃないんでしょ?」と私は心でそう思ってしまいます。だから「本当は、思いっきり楽しんでないんでしょ?よく“見られたい”んでしょ?」

 

長文をSNSに投稿する友人に対して、私はなんだか可哀想に思えて来ました。やっぱり寂しいのかな、構って欲しいのかな、と。そう思うようになり、自然とその友人に対して羨ましいという気持ちはなくなってきました。

最近、また別の友人が結婚をするそうで。例えば結婚式に招待されたらどうしようかな?参加してもいいかもなー。なんて思えて来ました。多分、それだけ心の余裕が生まれたのかもしれません。

 

そういえば、大学時代、私はいつも友人達に嫉妬していたことを思い出しました。何かって?それは「お金」です。私立大学ということもあり、奨学金こそ借りてはいても、ある程度自由に使えるお金が親から支給されている人ばかりでした。そんな最中、私はいつだって貧乏。クレジットカードは学生当時作ることができず、バイト三昧でした。ちょっと遊びにいくだけでも一苦労。大学だって、元々生きたくなかったのに親の為を思って入学していたこともあり、さらに苦痛でした。なぜ、私ばっかりこうなんだ。お金もないし!みんなが羨ましい。そう思っていました。

しかし、今はなんとも思いません。なぜかって?そりゃあー、自立してある程度稼げるようになって。職場のアラサー男性と同等の給料もらえているし。誰かの目を気にしてごますって媚びる必要もない。自分のために稼げるようになった。奨学金だって、自分なりに返す見通しがついてきて。自分の責任を自分で管理できるようになって。だから、そんな過去のことなんかどうだって良い訳です。

 

今、私が何を求めて、何を目指すのか。

それさえ視点を持っていれば、他人がどうであろうが関係ない。

やっとその境地に足を踏み入れ始めたようです。

 

 

 

SNSの在り方について

さーて。HONYAさん2回目の出動だよー☆

 

今日はテンション上げてくよ♪きゃっきゃ。

 

。。

 

これでも、一応20代半ばの♀やってます

仕事上は・・・超真面目ぶってる(ぶれてるか?笑)人間でございます

 

でもね、本当は。本当はこんな変な奴なんです。

変な奴だと仕事にならないので、隠してますが・・・社会人ってつくづく大変ですね。

 

 

 

それはさておき。

本日は「SNS」について語るといたしましょう。

 

 

みなさんはSNSやってますか?

FacebookTwitter、最近はInstagram、前はmixiなどなど・・・。

私がSNSに触れたのはmixiが初めだった気がします。でも、本格的にやりはじめたのはFacebookTwitterあたりかな・・・。今日は何故、SNSの話をしようとしたか、というと。ほら、巷で話題のあれさ・・・「SNS疲れ」。これの話をしたかったんです。

まぁ、この話題で盛り上がれる友達が近くにいなくって・・。というより、自分と同じ想いをもっている方はネットの方が確立高いしーーっていう言い訳★

話を戻しまして、SNSって、ある種「快楽の中毒」ですよね。投稿して、「いいね!」やリプライされると嬉しくなる。また「いいね!」ってして欲しいから、ネタ探し。そう。「ネタ」。結局、なんだっていいのですよ。根幹は、「見て欲しい」があるからなんですから。心理学的に言えば、かまってほしい人こそSNSに投稿するのです。そう。速攻で返事が欲しい。「即効性」。(心理学的に言えてないと思うけど見逃してください)

自分の承認欲求がすぐそこで叶う訳です。ただし、それはほんの一瞬です。

まぁもともと目立ちたがりやのタイプだっているでしょうし、SNSに投稿したからダメとかいいとかそういうものでもないと想います。投稿するのは自由ですし。ただし、その投稿をみて「落ち込む」人もいる訳です。いや、もしかしてですよ?承認欲求に突き動かされた寂しい人が、自分のリア充アピール投稿をしています。それをみて、「あーぁ、羨ましい。ずるい」って思う人がいます。でもそれって、根幹は同じなのかもしれない。今の自分に満足していない、人と比べてしまう人は、そうして落ち込んでしまう。これが所謂「SNS疲れ」と呼ばれるものと想います。劣等感を刺激されてしまうのですね。嫌ならみなきゃいい!・・ということで。実は私もFacebookを何度か削除しました。笑 最近は復活していますが。それでも少し前程、他人を羨ましいと思うことはなくなりました。なぜかって?そりゃー聞かなくてもわかるでしょ!

 

私が、今、そして未来の人生を楽しんでいるからだよ!!

 

そりゃあ人間だもの、少しでもいい暮らしがしたいし、たくさん好きな物に囲まれていたい。色んな物が欲しいさ。だから他人のよくある幸せのカタチが、とっても羨ましくて、それが自分にはなくって、悲しくなったりすることもあるんさ。けれどね、いつの間にか、それを乗り越える日が訪れて来ている、今の私はそう思うのです。

 

私の持論。真のリア充SNSに投稿はしない。

 

ただし、中にはSNSの利便性、他人への告知や報告ツールとして活用されている方も多くいることでしょう。その方々を抜きとしても、例えばそこまで仲良くもない他人みたいな「友達」にアピールすることって、本当にあるのでしょうか

 

 

 

私はTwitterで、一日に50件くらい投稿したこともあるほどの中毒者でした。しかしすでにTwitterは知り合いとフォロー関係は結んでいません。もう、みなさんに直接伝えたい、聞いて欲しいことはなくなったからです。当時の私は、自分に自信が無く、かまってほしい気持ちでいっぱいでした。人とは違う自分をアピールしたかった。必死でした。けれど、あることをキッカケに辞め、それからは知り合いと繋がってツイートせずに別のアカウントを作成しました。それは自分の自己満のようなもので、特段意味はありません。私の中でTwitterの位置づけが大きく変わっていました。

 

そんなようなカタチで、私の今のタイプは、不特定多数にこうしてブログでアピールすることは行いたい、やっぱり承認欲求があることには変わりありませんが、それを小さな世界で繰り広げることをやめようと思ったのです。だって、もっと自由な方がいいじゃん。そう思えたのは、やっっぱり自分に自信をもつことができたからでしょう。

 

SNSを通じて、また勉強になったなぁと、私はそう思っています。