ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

26歳という、微妙な狭間の年齢がやってきた。

こんばんは。HONYAです。

 

先日、私の誕生日がありまして。

26歳になりました。

 

25歳までは、「誕生日だ★ヤッホーイ★みんなお祝いしてね★」

というテンションでいられたのですが。

26歳の誕生日はそんな気持ちになれなくてですね。。

なんというか、社会的責任というのでしょうか

社会人として、もうあんまり甘えてもいられない年齢になったなーと

じわじわとプレッシャーが訪れてまいったようです。

 

ま、まだまだ20代でしょ★と言う風に思われるかもしれませんが

社会の目がどんどん厳しくなるってことは、意識しといた方がいいかなと思っております。

だからこそ、25歳で転職活動終わらせたかったしね。

なぜなら、20代半ばでは、いくら独身でも「結婚は?出産は?」と

ライフプランを問われる時が多いのです。

(まぁこのご時世ですから、直接そう言った質問はほとんどされなかった訳ですが。)

でも自分が人事とか、採用担当だったら、絶対気になるポイントなんだなー。

でも、なぜその会社で、なぜ今転職するのかって、ちゃんと結論ありきでないと、後々「こんなはずでは。」と思うと思うのですね。

 

まぁ、後悔も含めて、自分の人生なのかもしれないけれど

 

でも私が今の私で居られるのも、過去があったからだと思っている

 

だから後悔したことなんて、ほとんどない

 

その時思ったことをその通りしてきただけ

 

当時は不本意と思えることがあったとしても

 

苦難があったからこそ、今やこれからが大事だとそう思える

 

 

 

失敗したと思っても、今やこれからにつながれば失敗なんかじゃないぜ。

 

 

 

ちょっと話は逸れましたが、

世間の目も気になるお年頃の26歳 HONYAでした。

裏切ったのは目の前の相手ではない。私の中の想像(相手)を裏切ったのだ。

世間の皆さんこんばんみ〜。HONYAです。

 

「○○ちゃんに、裏切られた!酷い!!」

 

と、思ったことはありませんか?

私は結構あります。

 

 

「○○なら、△△してくれると、思ったのに!」

「なぜ、△△もしてくれないの!酷い!人で無しのロクデナシっっ!!」

 

それは言い過ぎですが。

 

相手のことを知っていると思うからこそ、

相手と近しい距離にいると思うからこそ、

そんなことを思う確率が上がると思います。

 

なぜなら、

「私の友達である○○なら、△△するはずだ。そうに決まっている。」

という思い込みがあるからです。

その思い込みが、目の前の相手を生み出しています。

 

他人であろうが、仲のいい友達であろうが、

全ては大概「思い込み」「雰囲気」でそれらは形成されています。

だから、相手に驚いたり、憤りまで感じてしまうことがあるときは、

私の想像した通りの相手ではないから、そうなってしまうのです。

私の想像した相手は、私の脳内に存在しており、目の前の相手とは別人でしょう。

 

だからこそ、相手の言動一つ一つのことに、目くじらをたてるのなんて、

時間がもったいないのです

 

まぁ、自分のコンプレックスが解消されていない状態で

相手がそのコンプレックスを刺激されたら、冷静ではいられず

どうしても相手を責める(もしくは自己防衛)行動をしてしまう訳ですが

 

 

だから、身近にいる人に大きな期待をしないこと

期待とは、自分に都合のいい理想像を、相手を押し付けるみたいなことだから

よくも、悪くも。

 

 

 

P.S. Instagram復活しました。

   でも、今までとはなんか違うかも。

   イライラしたAさんの写真を見ても、微笑ましく見えてきた(かも?)

 

 

 

 

 

上司にも会社にも失望した時、人は会社を辞める決意をする。

サラリーマン/OLの皆さん、お疲れ様です。

HONYAです。

(しがないOLやってます。)

 

OLって言っても、営業職です。毎日ガンガン、営業車で走り回っております。

OLというと、デスクワークな感じがしません?

サラリーマンっていうと、満員電車で揺られている男性のスーツ着ている人って感じしません?

私だけでしょうか。。。

 

そんなことはさておき。

私は、後数ヶ月で今の会社をやめます。

転職先もすでに決まっていて、本当は今月中に辞めるつもりだったのが、上司から少しの期間だけいて欲しいとお願いがありましたので、想定より長く会社にいさせていただくこととなりました。

 

正直なところ、本音はいますぐやめたいのですが。

いまの会社で働くモチベーションが「0」になったからこそ、転職しようと思ったので。

また、「自分から仕事を作る仕事」である営業職の為、更に苦痛を催しておりますね。

辞めるとわかっている会社で、売り上げ数字を作るなんて。営業成績を上げても、見返りはないのに。。(査定期間は過ぎたので、ボーナスには反映されません)

 

 

そんな中。上司からのMTGが本日行われました。

売り上げがなかなか上がらない理由について、原因を教えて欲しいと。

詰める、否定するつもりはないので純粋に教えて欲しいとのこと。

 

「フン、やっと聞く気になったのね。よし、じゃあ、あれとあれとあれとあれとあれt・・を言ってやろうかな★」

 

なーんて、上から目線でいろいろ言いたいことを思い浮かべておりました。

そう思ったのもつかの間。

上司の一言。

 

「数字を作るための具体的な数字をあげて欲しい。

 決して精神論じゃない。

 物理的な話だから。」

 

 

 

はい????????????????????

 

 

結局、最初から私たち「営業」ができていないわけですね?

最初から聞く気ないでしょ?

 

 

 

一番の原因は「モチベーション」が上がらないからだよっっっ!!!!!

 

 

それは、営業個人の話ではなく。

上層部の考え方、営業のさせ方の問題でしょ?

また話をすり替えてる。。。

 

ルールでがんじがらめにして、

あれはダメ、これはダメ、

行動数のノルマが足りてない!とか。

 

部長が「恐怖」で縛っているフィールドで

営業がのびのび営業できるわけがなく。

 

みんな真面目にやってるのに、成績が伸びないのは、

事業戦略の立てかたを第一に疑ってください。

 

 

 

この会社でやっていけない、辞めたいと思った一番の原因は

・プレッシャーばかりかけて、質問しづらい、放置プレイの上司と

・営業のせいにして、自分は悪くない、逃げ腰の部長の存在

以上です。

 

 

 

president.jp

 

ああ。本当はこれを言いたい。

 

 

 

 

 

 

母親の話

私は、過去、母親に虐待されていました。

(しかし、母親は虐待した事実を認めません。)

そんな母に対して、最近思うこと

それは、母はおそらく、無意識で私を追い詰めたのだと思う

それが何の因果か、わからないけれど

とにかく、母は空っぽだった

いつも上の空だ

それは、彼女の個性とも言えるかもしれない

いわゆる、二重人格のような形だ

ああ、そういえば、父親もそうだった

 

私のお腹を蹴るときの

母の憎しみに満ちた鬼のような顔を忘れない

 

それをした後は、何事もなかったかのようになる

 

強い強い、怨念だった気がする

 

とにかく、私は恐怖に満ちていて

それでも、頭の中はいつだって冴え渡っていた

痛くならないように、私は無意識に自分の体から幽体離脱するかのように

意識をぼーっとさせていた そんな気がする

 

 

 

痛い思い、辛い思いをした側は

いつだってそれを、忘れない

 

痛みって、必ずしも忘れる必要はないと思っている

 

それを憎しみとして、自分で自分を苦しめるか

それを一つの痛みとして、心を広げていくのか

 

たぶん、母は器が小さかった、

父も同じと思う

 

 

 

心の許容範囲が狭いから、そうなったのか

はたまた

何かの想いがそうさせたのか

 

真実はわからない。

けれど、私的な直感で

母はもぬけの殻、深層心理の母とその何か、

深いところにあったような気がしている

 

 

 

 

 

想いと想念の話

最近、自分の母親に対して、そして周りの人間に対して、思うことがあります。

 

人間って、自分が自分の意思で動いているようで、そうでもない。

「動かされて」いることだってある、と。

 

そして、無意識の想いと、自分が理解している意識的想いが、違うこともある。

 

なぜなら、無意識の想いは、非常にシンプルだからだ

 

意識的な想いは、後付けである

 

自分が左脳で理解するためのものなのだ

行動を決定づけるのは表層上の動機でない。

 

自分の無意識の想い、そして周りの想い、

それぞれが融合した結果が

「今の自分の行動」に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

想念の話

 

過去を思い出す時、

あるシーンは、自分が見える

 

自分視点ではなく、斜め上から自分を見ている

 

それは、たぶん「想念」の視点なのかもしれない

 

もしくは、鳥か。

 

 

直感的に、そう感じている

 

 

Instagramも、やーめた。

こんばんは。HONYAです。

 

なんかここのところ、安定しない天気のように

私の心もモヤモヤ〜っとしておりました。

 

Instagram、やめました。」

 

なんか、もう自分がすごくカッコ悪くなってきました。

ここぞ!とばかり、知り合いのあら探しばっかりしてる感じがしてしまって。

自分の劣等感が刺激されただけなのに、

いつまでたっても、相手ばかり悪いと思う自分が、

いつまでもウジウジしてて前に進んでいないなと思った。

 

 

ある出来事があるまでは、Aちゃんにはなんとも思っていなかったのに、

ある出来事が起きてからは、Aちゃんの投稿する全てが気に食わなくなっておりました。

それは相手の変化ではなく、私自身の変化でしょう。

やっぱり、悔しかったのです

 

ある一緒に参加した街コンで、Aちゃんは素敵な彼氏を見つけ、そのまま結婚へ。

私は、誰にも相手にされず、、何もなく終わりました。

たぶんそれがずっとどこかで引っかかっていて。

なんか「負けた」気がしたのです。

 

だから、Aちゃんがリア充を思いっきりアピールしてきた時、私は苛立ちました

それまでの心の余裕がなかったのです。

 

 

でも、Aちゃんだって、彼女なりに劣等感を抱えて生きているのだと

私は感じました

だから、勝ち、とか負け、とか、そんなものどうだっていい

 

いやなら、見なければいい。

 

冷静になる必要がある。

 

 

 

twitterを辞めた時も、そうでした。

 

 

どうしても、自分の想いを伝えたくて

そんな中、自分を否定するコメントがタイムラインに流れて

言い返せば、言い返される。

そんなネット上で、不毛だ、と思い

それからはリアルの知人とtwitterで関わることをやめました。

アカウントも削除しました。

それから、不思議と、自分の思いをtwitterにつぶやきたいと

思うことは無くなっていきました。

 

twitterは言葉が流れてしまうから

本当に伝えたいのなら、ブログに綴っていこう、と。

 

それに、個人的な思いを、みんなが見ているタイムラインに

さらしすぎても、うざいだけだよなーと。

自粛しました。

 

 

結果、その時の私にはそれが良かったのだと

今、改めてそう思います。

 

 

 

Instagramも、ちょうど私の過渡期なのかなー

そう思っています。

 

 

冷静に、傍観者として楽しめる自分になれるまで

人のアピールを気にならない、自分に納得出来る自分になれるように

人の目でなく、自分の想いを叶えていこうと

そう思います。

 

 

 

 

 

マウンティングについて考える

こんばんは。ホニャララホイ★でお馴染み、ほにゃさんです。

 

秋の夜長ですね。シーンとした静けさの中一人で過ごす時間、とっても贅沢ですね。こんな夜も好きです。

 

本日は、祝日ということでお休みでした。天気も悪かったので、朝はダラダラと起き、気付いたらもう13時。WAO。そして、ヒトカラGO★

久々でした!混んでいて、40分くらい待ってから、約3時間半ぶっ通しで歌ってやりましたよ♪RADWIMPSばっかりでしたー。最近話題の前前前世も歌いました♪

 

そのあとは、家に帰って読書です!

「女は笑顔で殴りあう」ーーーーーーマウンティングについての対談式の本です。

 

つい先日、Instagramで某友人が上げていた写真を見て、すっごくモヤモヤしてたんです。それで、それを彼氏に聞いてもらっていて。その某友人は定期的にアップしているので、定期的に私もそれでモヤモヤしておりまして。笑 その話をすると彼は「またその子の話か」と思うようです。笑 本当に申し訳ないです。苦笑

 

そんな中、彼から言われた言葉が衝撃的でした。

SNSなんて、マウンティングするためのツールじゃん。」

 

。。。

 

ハッ!!!

 

 

としました。

確かに、そうです。そうですよ。

私だって、なんか自慢したい時、無意識にInstagramでセコセコと写真をアップロードしております。私だって、「マウンティング」してんじゃねぇのか?!?!?!

 

そして、我らの偉大な、Google先生にも聞いてみました。

本当のリア充ってさ、SNSにアップすることなんかしないって。

それは、無意識に私も理解してはおりました。

 

SNSに投稿するってことは、「かまってほしい」わけで

ただの自己満足だったら、こんな感じでブログとか、個人的日記書けばいいんだし。

わざわざ、みんなが見ているインターネッツに上げる必要って、別にないし。

上げる理由は、みんなの意識に「自分」を見せたいから。自分が優れているって、確認したいから。充実してるって、思いたいから。なんだよね、

 

実際に、私の幼馴染は、SNSを見ることはあっても、自分が投稿することはない。投稿する内容もないし、する必要性を感じないよう。で。その幼馴染は、リア充です。そういう人に共通しているのは「自尊心」が高い人。SNSで投稿が多い人は、何かしら「コンプレックス」を持っている人。だからこそ、そのコンプレックスを埋めるように、誰かに賞賛を浴びたい。だから何度も投稿するんだね。

 

どこかで書かれていたけれど、SNSというツールが生まれてから、自己承認欲求が浮き彫りになりやすくなりました。

 

 

本日読んだ本には、マウンティングについての「あるある」を幾つかの例を出しつつ解説されており。申し訳ないことに、「あー、自分もマウンティングしてたわ。。」と感じた点もありました。逆に、マウンティングされていたこともありました。

 

マウンティングの特徴が、「気づきにくい」ということ。

「女は笑顔で殴りあう」というタイトル通り、一見は褒めている言葉のように見えて、その裏には「相手を堕とす」意図が見え隠れしている。それが後でジワリ、ジワリとボディブローが効いてくるのだ。

「アドバイスしてくれる、頼もしい友人」と思いきや、「自分を上げるために、私を堕とす友人」なのである。その悪意がわかりやすい時と、わかりにくい時があるから、難しい。でも、自分だってマウンティングしてきたことがあるから、一概にその被害受けた人を避難できる立場ではないのかもしれない。そう思った。

 

そして、私はInstagramの自分の写真を消しました。

そう、「同じステージ」に立つことを、辞めたのです。

 

マウンティングの対象者となる人は、

「自分と立場が近い人、同等のレベル、もしくはバックボーンを持っている人」

なのである。

 

身近だからこそ、比べやすい。

マウンティングが通用しない相手というのは、「劣等感がない人」。

自分を他人を比べない、「自分が唯一無二の存在」だと理解している人だ。

劣等感があるからこそ、自分と他人を比べて落ち込んだり、悔しくなったりする。マウンティングする人も、される人も、結局は同じ穴のムジロなのだ。。

 

なんとなく理解しているつもりだったが、感情がそれを許さなく、認めようとしなかったため、思ったよりも長期戦となっていたようだ。

 

 

意外と、スッキリしている。

同じ立場に立たなければいい。

だって、私は私なのだから。

 

誰が先に結婚しようが、幸せになろうが、関係ない。

いちいち悔しがる必要もない。

 

人と、私に流れる時間/人生は違うのだ

 

私が思う幸せと、人が思う幸せは、同じとは限らない。

私が思う道を、ゆっくりと進めばいい。

 

 

少しずつ前に進めているからこそ、そう思うことが

でき始めているのかもしれない。

 

 

そう思えた、意義のあるOFF DAYでした。

 

 

HONYA