ほにゃブロ。

猫みたいな何かがほにゃほにゃするブログ。自らの思いの丈をつらつらと書いていきます。基本は雑記、最近は西洋占星術が多めです。

上司にも会社にも失望した時、人は会社を辞める決意をする。

サラリーマン/OLの皆さん、お疲れ様です。

HONYAです。

(しがないOLやってます。)

 

OLって言っても、営業職です。毎日ガンガン、営業車で走り回っております。

OLというと、デスクワークな感じがしません?

サラリーマンっていうと、満員電車で揺られている男性のスーツ着ている人って感じしません?

私だけでしょうか。。。

 

そんなことはさておき。

私は、後数ヶ月で今の会社をやめます。

転職先もすでに決まっていて、本当は今月中に辞めるつもりだったのが、上司から少しの期間だけいて欲しいとお願いがありましたので、想定より長く会社にいさせていただくこととなりました。

 

正直なところ、本音はいますぐやめたいのですが。

いまの会社で働くモチベーションが「0」になったからこそ、転職しようと思ったので。

また、「自分から仕事を作る仕事」である営業職の為、更に苦痛を催しておりますね。

辞めるとわかっている会社で、売り上げ数字を作るなんて。営業成績を上げても、見返りはないのに。。(査定期間は過ぎたので、ボーナスには反映されません)

 

 

そんな中。上司からのMTGが本日行われました。

売り上げがなかなか上がらない理由について、原因を教えて欲しいと。

詰める、否定するつもりはないので純粋に教えて欲しいとのこと。

 

「フン、やっと聞く気になったのね。よし、じゃあ、あれとあれとあれとあれとあれt・・を言ってやろうかな★」

 

なーんて、上から目線でいろいろ言いたいことを思い浮かべておりました。

そう思ったのもつかの間。

上司の一言。

 

「数字を作るための具体的な数字をあげて欲しい。

 決して精神論じゃない。

 物理的な話だから。」

 

 

 

はい????????????????????

 

 

結局、最初から私たち「営業」ができていないわけですね?

最初から聞く気ないでしょ?

 

 

 

一番の原因は「モチベーション」が上がらないからだよっっっ!!!!!

 

 

それは、営業個人の話ではなく。

上層部の考え方、営業のさせ方の問題でしょ?

また話をすり替えてる。。。

 

ルールでがんじがらめにして、

あれはダメ、これはダメ、

行動数のノルマが足りてない!とか。

 

部長が「恐怖」で縛っているフィールドで

営業がのびのび営業できるわけがなく。

 

みんな真面目にやってるのに、成績が伸びないのは、

事業戦略の立てかたを第一に疑ってください。

 

 

 

この会社でやっていけない、辞めたいと思った一番の原因は

・プレッシャーばかりかけて、質問しづらい、放置プレイの上司と

・営業のせいにして、自分は悪くない、逃げ腰の部長の存在

以上です。

 

 

 

president.jp

 

ああ。本当はこれを言いたい。

 

 

 

 

 

 

母親の話

私は、過去、母親に虐待されていました。

(しかし、母親は虐待した事実を認めません。)

そんな母に対して、最近思うこと

それは、母はおそらく、無意識で私を追い詰めたのだと思う

それが何の因果か、わからないけれど

とにかく、母は空っぽだった

いつも上の空だ

それは、彼女の個性とも言えるかもしれない

いわゆる、二重人格のような形だ

ああ、そういえば、父親もそうだった

 

私のお腹を蹴るときの

母の憎しみに満ちた鬼のような顔を忘れない

 

それをした後は、何事もなかったかのようになる

 

強い強い、怨念だった気がする

 

とにかく、私は恐怖に満ちていて

それでも、頭の中はいつだって冴え渡っていた

痛くならないように、私は無意識に自分の体から幽体離脱するかのように

意識をぼーっとさせていた そんな気がする

 

 

 

痛い思い、辛い思いをした側は

いつだってそれを、忘れない

 

痛みって、必ずしも忘れる必要はないと思っている

 

それを憎しみとして、自分で自分を苦しめるか

それを一つの痛みとして、心を広げていくのか

 

たぶん、母は器が小さかった、

父も同じと思う

 

 

 

心の許容範囲が狭いから、そうなったのか

はたまた

何かの想いがそうさせたのか

 

真実はわからない。

けれど、私的な直感で

母はもぬけの殻、深層心理の母とその何か、

深いところにあったような気がしている

 

 

 

 

 

想いと想念の話

最近、自分の母親に対して、そして周りの人間に対して、思うことがあります。

 

人間って、自分が自分の意思で動いているようで、そうでもない。

「動かされて」いることだってある、と。

 

そして、無意識の想いと、自分が理解している意識的想いが、違うこともある。

 

なぜなら、無意識の想いは、非常にシンプルだからだ

 

意識的な想いは、後付けである

 

自分が左脳で理解するためのものなのだ

行動を決定づけるのは表層上の動機でない。

 

自分の無意識の想い、そして周りの想い、

それぞれが融合した結果が

「今の自分の行動」に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

想念の話

 

過去を思い出す時、

あるシーンは、自分が見える

 

自分視点ではなく、斜め上から自分を見ている

 

それは、たぶん「想念」の視点なのかもしれない

 

もしくは、鳥か。

 

 

直感的に、そう感じている

 

 

Instagramも、やーめた。

こんばんは。HONYAです。

 

なんかここのところ、安定しない天気のように

私の心もモヤモヤ〜っとしておりました。

 

Instagram、やめました。」

 

なんか、もう自分がすごくカッコ悪くなってきました。

ここぞ!とばかり、知り合いのあら探しばっかりしてる感じがしてしまって。

自分の劣等感が刺激されただけなのに、

いつまでたっても、相手ばかり悪いと思う自分が、

いつまでもウジウジしてて前に進んでいないなと思った。

 

 

ある出来事があるまでは、Aちゃんにはなんとも思っていなかったのに、

ある出来事が起きてからは、Aちゃんの投稿する全てが気に食わなくなっておりました。

それは相手の変化ではなく、私自身の変化でしょう。

やっぱり、悔しかったのです

 

ある一緒に参加した街コンで、Aちゃんは素敵な彼氏を見つけ、そのまま結婚へ。

私は、誰にも相手にされず、、何もなく終わりました。

たぶんそれがずっとどこかで引っかかっていて。

なんか「負けた」気がしたのです。

 

だから、Aちゃんがリア充を思いっきりアピールしてきた時、私は苛立ちました

それまでの心の余裕がなかったのです。

 

 

でも、Aちゃんだって、彼女なりに劣等感を抱えて生きているのだと

私は感じました

だから、勝ち、とか負け、とか、そんなものどうだっていい

 

いやなら、見なければいい。

 

冷静になる必要がある。

 

 

 

twitterを辞めた時も、そうでした。

 

 

どうしても、自分の想いを伝えたくて

そんな中、自分を否定するコメントがタイムラインに流れて

言い返せば、言い返される。

そんなネット上で、不毛だ、と思い

それからはリアルの知人とtwitterで関わることをやめました。

アカウントも削除しました。

それから、不思議と、自分の思いをtwitterにつぶやきたいと

思うことは無くなっていきました。

 

twitterは言葉が流れてしまうから

本当に伝えたいのなら、ブログに綴っていこう、と。

 

それに、個人的な思いを、みんなが見ているタイムラインに

さらしすぎても、うざいだけだよなーと。

自粛しました。

 

 

結果、その時の私にはそれが良かったのだと

今、改めてそう思います。

 

 

 

Instagramも、ちょうど私の過渡期なのかなー

そう思っています。

 

 

冷静に、傍観者として楽しめる自分になれるまで

人のアピールを気にならない、自分に納得出来る自分になれるように

人の目でなく、自分の想いを叶えていこうと

そう思います。

 

 

 

 

 

マウンティングについて考える

こんばんは。ホニャララホイ★でお馴染み、ほにゃさんです。

 

秋の夜長ですね。シーンとした静けさの中一人で過ごす時間、とっても贅沢ですね。こんな夜も好きです。

 

本日は、祝日ということでお休みでした。天気も悪かったので、朝はダラダラと起き、気付いたらもう13時。WAO。そして、ヒトカラGO★

久々でした!混んでいて、40分くらい待ってから、約3時間半ぶっ通しで歌ってやりましたよ♪RADWIMPSばっかりでしたー。最近話題の前前前世も歌いました♪

 

そのあとは、家に帰って読書です!

「女は笑顔で殴りあう」ーーーーーーマウンティングについての対談式の本です。

 

つい先日、Instagramで某友人が上げていた写真を見て、すっごくモヤモヤしてたんです。それで、それを彼氏に聞いてもらっていて。その某友人は定期的にアップしているので、定期的に私もそれでモヤモヤしておりまして。笑 その話をすると彼は「またその子の話か」と思うようです。笑 本当に申し訳ないです。苦笑

 

そんな中、彼から言われた言葉が衝撃的でした。

SNSなんて、マウンティングするためのツールじゃん。」

 

。。。

 

ハッ!!!

 

 

としました。

確かに、そうです。そうですよ。

私だって、なんか自慢したい時、無意識にInstagramでセコセコと写真をアップロードしております。私だって、「マウンティング」してんじゃねぇのか?!?!?!

 

そして、我らの偉大な、Google先生にも聞いてみました。

本当のリア充ってさ、SNSにアップすることなんかしないって。

それは、無意識に私も理解してはおりました。

 

SNSに投稿するってことは、「かまってほしい」わけで

ただの自己満足だったら、こんな感じでブログとか、個人的日記書けばいいんだし。

わざわざ、みんなが見ているインターネッツに上げる必要って、別にないし。

上げる理由は、みんなの意識に「自分」を見せたいから。自分が優れているって、確認したいから。充実してるって、思いたいから。なんだよね、

 

実際に、私の幼馴染は、SNSを見ることはあっても、自分が投稿することはない。投稿する内容もないし、する必要性を感じないよう。で。その幼馴染は、リア充です。そういう人に共通しているのは「自尊心」が高い人。SNSで投稿が多い人は、何かしら「コンプレックス」を持っている人。だからこそ、そのコンプレックスを埋めるように、誰かに賞賛を浴びたい。だから何度も投稿するんだね。

 

どこかで書かれていたけれど、SNSというツールが生まれてから、自己承認欲求が浮き彫りになりやすくなりました。

 

 

本日読んだ本には、マウンティングについての「あるある」を幾つかの例を出しつつ解説されており。申し訳ないことに、「あー、自分もマウンティングしてたわ。。」と感じた点もありました。逆に、マウンティングされていたこともありました。

 

マウンティングの特徴が、「気づきにくい」ということ。

「女は笑顔で殴りあう」というタイトル通り、一見は褒めている言葉のように見えて、その裏には「相手を堕とす」意図が見え隠れしている。それが後でジワリ、ジワリとボディブローが効いてくるのだ。

「アドバイスしてくれる、頼もしい友人」と思いきや、「自分を上げるために、私を堕とす友人」なのである。その悪意がわかりやすい時と、わかりにくい時があるから、難しい。でも、自分だってマウンティングしてきたことがあるから、一概にその被害受けた人を避難できる立場ではないのかもしれない。そう思った。

 

そして、私はInstagramの自分の写真を消しました。

そう、「同じステージ」に立つことを、辞めたのです。

 

マウンティングの対象者となる人は、

「自分と立場が近い人、同等のレベル、もしくはバックボーンを持っている人」

なのである。

 

身近だからこそ、比べやすい。

マウンティングが通用しない相手というのは、「劣等感がない人」。

自分を他人を比べない、「自分が唯一無二の存在」だと理解している人だ。

劣等感があるからこそ、自分と他人を比べて落ち込んだり、悔しくなったりする。マウンティングする人も、される人も、結局は同じ穴のムジロなのだ。。

 

なんとなく理解しているつもりだったが、感情がそれを許さなく、認めようとしなかったため、思ったよりも長期戦となっていたようだ。

 

 

意外と、スッキリしている。

同じ立場に立たなければいい。

だって、私は私なのだから。

 

誰が先に結婚しようが、幸せになろうが、関係ない。

いちいち悔しがる必要もない。

 

人と、私に流れる時間/人生は違うのだ

 

私が思う幸せと、人が思う幸せは、同じとは限らない。

私が思う道を、ゆっくりと進めばいい。

 

 

少しずつ前に進めているからこそ、そう思うことが

でき始めているのかもしれない。

 

 

そう思えた、意義のあるOFF DAYでした。

 

 

HONYA

秋はサカナ

今晩は。タイトルは、秋はサカナクションが聴きたくなる季節だ、というものです。(サンマじゃないよ)

 

なんだか切ないです。この季節はいつも。風が変わるんです。そして、でも、なんだかまたいつもの秋とも違う気もしているのです。本当に静かなんです。とってもシンプルなんです。私の今と、周りの今、それぞれが今までと違っていく気がする。

 

これまで、今の仕事をがむしゃらにやってきて。部長のことも、会社の体制も、上司も、仕事で関わるお客様も、嫌なことがいっぱいあったけれども、グッとこらえて頑張ってきました。それは、なんとかしなきゃって、ただそれだけの気持ちでやってきたと、今では思います。ただ目の前のことに必死に食らいついてやってきた。でも、もう数ヶ月後には退職するって決めて。ちょうど季節の変わり目、私のまた新しい面が現れたような、、そんな気がしています。

 

最近は、過去の自分と、今の自分をよく比べています。

それは、その時に聞いた音楽、辛い時に縋るように聞いていた音楽を聴くことで、その時のことを思い出します。でも、その辛かった時の感情はぶり返すことなく、自分視点ではなく、その場の想念(少し遠くから自分を眺めている感じ)視点で過去を思い出しています。過去を思い出す時、結構そういうシーンが多いです。

 

不思議な感覚で、自分とは違う視点で、過去の自分を見つめている。その瞬間、私は今に存在しておらず、時空を超えている感じがして、とにかく、不思議です。

 

その過去を思い出して、その時の私と、今の私と、やっと、自分で自分の人生をコントロールしつつある。その状況が嬉しくもあり、つい数日前の私とは変わってしまったという、なんだか名残おしさもあるわけで。

 

 

もう、私は新しい未来へ進んでいるんだ。

そのことを、改めて感じつつ、何か物思いにふけるような今です。

でもこういうの、嫌いじゃないです。

新しいクリエイティブな何かが、繊細な何かが、思い出せそうで。

 

やっぱり何かを表現していきたい。それは変わらないのだろう。

自分が自分で、自分がした何かで、驚いてもらいたい。

だから、雁字搦めなルールは苦手です。やらされることも嫌い。でもそれを、なぜか選んできた人生だった。何かと自分を縛ろうとする人との関わりが多かった。自分の尊厳を維持できない状況下だった。でも、今は違う。自分に自信を持って、やりたいと思えることを仕事に選ぶことができた。たったそれだけでも、私にはとっても大きいこと。今までは、これなら自分でもできるかもしれない、嫌だけれど、というネガティブなことばかり考えてた。

 

辞めることを伝えた時に、切ない顔をされるのは、やっぱり辛いです。ちょっぴり自惚れなんだろうけど。自分の担当のお客さんから、残念です、って言われて。私もせっかく慣れてきた頃だったし、仕事も覚えてきてバリバリできるってタイミングでの転職だったから。それでも、未来のこと考えたら、後悔したくない選択をしたいって思った。

 

ネットのどこかで書かれていた。

「転職する側とされる側って、恋人同士の別れみたいなもの」

振る方はどこかスッキリした顔をして、振られる方は切ない気持ち。

なんだか、わかるかも。

転職します。(20代/2回目)

こんばんは。

ほにゃさんです。

 

えっとですね、実はこっそりと転職活動しておりまして。第一希望の会社に見事内定をいただきましたー!!!しかし。今、まだ在職中であります。辞めるタイミングの交渉が自分の上司から入り、、

 

予定よりも、1ヶ月先!

 

ここのところずっとヒヤヒヤしてました。内定取り消されちゃうよーいやだよーって。でも。。

 

「待ちます」

 

と内定先から言っていただき!!!!!

非常に嬉しく!!

 

ついでに、ボーナスちゃんをもらって辞める算段が、通った★見事

 

 

自分の好きなことを仕事にできて

給料がほとんど同じで

むしろ、長い目を見たら給料高くなる!

 

早く今の会社を辞めたくて仕方ないです

 

でも、ボーナスのために頑張るぞ!

まぁあんまりあてにできないけどね、

全額支給でない可能性もあるし。

 

 

ボーナス、少しでも貯金したいのです。

 

眠いのでこの辺で、では!